山本浩二は古葉竹識監督にプライドを刺激され上手く操縦されていた! スポーツ野球 1984年は開幕から調子が上がらず、4番⇒5番⇒6番と降格させられると、8月には、ついに3試合連続で休養を命じられたという、山本浩二(やまもと こうじ)さんは、その悔しさをバネに発奮し、8月8日時点で2割4分7厘まで下が […] 続きを読む
山本浩二は持病の腰痛をかばいつつ本塁打王(4度目)を獲得していた スポーツ野球 1980年、本塁打王と打点王の二冠王となり、広島カープの連覇に大きく貢献した、山本浩二(やまもと こうじ)さんは、1981年のシーズンも2年連続で本塁打王と打点王の二冠王となると、1982年も無タイトルながら好成績を残し […] 続きを読む
山本浩二は頭部死球を受けるも二冠王(本塁打王&打点王)を獲得していた! スポーツ野球 1979年には、打率2割9分3厘、42本塁打(リーグ2位)、113打点(打点王)という堂々たる成績で、4年ぶり2度目となる広島カープのリーグ優勝と、球団初となる日本一に大きく貢献した、山本浩二(やまもと こうじ)さんは、 […] 続きを読む
山本浩二は王貞治を抑えて本塁打王になっていた! スポーツ野球 プロ9年目の1977年には、自己最多となる44本塁打を記録するも、王貞治選手に阻まれ、本塁打王になることが出来なかった、山本浩二(やまもと こうじ)さんですが、翌1978年も44本塁打すると、今度は、王選手を抑え、本塁打 […] 続きを読む
山本浩二が本塁打を量産できた(本塁打王4回)理由とは? スポーツ野球 1975年、打率3割1分9厘(首位打者)、30本塁打、84打点という素晴らしい成績で、広島カープの初のリーグ優勝に大きく貢献した、山本浩二(やまもと こうじ)さんは、1977年シーズンには、自己最多の30本塁打を大きく上 […] 続きを読む
山本浩二は首位打者を僅差(9毛差)で獲得していた! スポーツ野球 1975年は、打率3割1分9厘、30本塁打、84打点という素晴らしい成績で、衣笠祥雄選手、大下剛史選手らとともに、広島カープの初のリーグ優勝に大きく貢献した、山本浩二(やまもと こうじ)さんは、個人的には、首位打者、最優 […] 続きを読む
山本浩二は広島初優勝で衣笠祥雄と抱き合って大泣きしていた! スポーツ野球 1975年、初めて経験する優勝争いのプレッシャーと広島のうだるような暑さに、心身ともに疲れ切っていたという、山本浩二(やまもと こうじ)さんですが、最終的には、打率3割1分9厘(首位打者)、30本塁打、84打点という素晴 […] 続きを読む
山本浩二は初優勝直前に「広島ファン2000人暴徒化事件」に遭っていた! スポーツ野球 1975年、球宴(オールスター・ゲーム)の直前から広島カープの4番に定着し、同年7月19日、甲子園球場で行われた球宴(オールスター・ゲーム)第1戦では、衣笠祥雄選手とともに2打席連続アベックアーチを放ち、世間に「赤ヘル旋 […] 続きを読む
山本浩二が若い頃は衣笠祥雄と赤ヘル旋風を巻き起こしていた! スポーツ野球 1975年シーズンは、ジョー・ルーツ新監督のメジャー流の教えが肌に合い、練習に手応えを感じていたという、山本浩二(やまもと こうじ)さんは、その後、ルーツ監督が、わずか15試合で監督を辞任した後、一気に才能を開花させ、衣 […] 続きを読む
山本浩二はジョー・ルーツ監督のメジャー式がハマっていた! スポーツ野球 プロ4年目の1972年7月8日には、10打席連続安打の日本記録まであと1つというところまで迫まるも、残念ながらセ・リーグ記録の9打席連続安打で止まってしまい、悔しい思いをしたという、山本浩二(やまもと こうじ)さんですが […] 続きを読む