「若い頃」タグの記事一覧(5 / 139Page)

長嶋茂雄が若い頃は本塁打を放つも一塁ベースを踏み忘れたことがあった!

1958年、巨人に入団した年には、開幕戦の国鉄スワローズ戦で、エース・金田正一さんに4打席連続三振を喫するも、153安打3割5厘29本塁打34二塁打92打点89得点37盗塁で、新人王・本塁打王・打点王・最多安打・最多二塁打・最高長打率・最多・・・

長嶋茂雄はプロデビュー戦で金田正一に4連続三振を喫していた!

立教大学卒業後、巨人(読売ジャイアンツ)に入団した、長嶋茂雄(ながしま しげお)さんは、入団した年の1958年、国鉄スワローズ戦で、エースの金田正一さんに4打席4三振を喫しているのですが、以降、金田さんの球を打ち砕くことしか考えられなくなっ・・・

長嶋茂雄は南海ホークスに入団するはずだった?

長嶋茂雄(ながしま しげお)さんといえば、誰もが巨人(読売ジャイアンツ)で活躍したスーパースターと知るところですが、実は、当初は、巨人ではなく、南海ホークス(現・ソフトバンク)に入団することになっていたといわれています。

長嶋茂雄はタイカッブバットで東京六大学新記録8本塁打を達成していた!

1957年11月3日、東京六大学野球の秋のリーグ戦で、勝てばチームは優勝、個人的には、あと1本ホームランを打てば、東京六大学の記録を更新するという状況で、緊張のあまりバッティングが振るわなかったという、長嶋茂雄(ながしま しげお)さんですが・・・

長嶋茂雄は東京六大学最終戦では途中でタイカッブバットを借りていた!

1957年(大学4年生)の時、春のリーグ戦で通算7本塁打を放ち、あと1本で、当時の東京六大学リーグ史上、新記録になるという状況の中、マスコミの存在や周囲の目が気になって、なかなか思うようなバッティングができずにいたという、長嶋茂雄(ながしま・・・

長嶋茂雄は東京六大学野球ではマスコミの存在に苦しんでいた!

立教大学4年生の時には、東京六大学野球リーグで、当時の東京六大学記録の7本塁打を更新する8本塁打を記録した、長嶋茂雄(ながしま しげお)さんですが、新記録達成に立ちはだかる最大の敵はマスコミだったといいます。

長嶋茂雄は杉浦忠と共に中日球団事務所に入団を直訴していた?

立教大学では、砂押監督から特別に目をかけられ、猛特訓を受けていたという、長嶋茂雄(ながしま しげお)さんですが、1995年、大学2年生の夏頃には、砂押監督のスパルタ方式の特訓に反発した先輩たちによる「砂押監督排斥運動」が起こっており、そもそ・・・

長嶋茂雄は立教大で上級生からの因縁に真っ向勝負を挑んでいた!

お父さんが他界した後は、六大学一番の選手になって日本一のプロ野球選手になるという、お父さんとの約束を守るため、それまで以上に砂押監督の猛特訓に励んでいた、長嶋茂雄(ながしま しげお)さんですが、そんな中、砂押監督から特別に目をかけられている・・・

長嶋茂雄は立教大時代に重いバットでの素振りを続けていた!

お父さんが他界後、苦しい家計を助けるため、大学を辞めてプロ入りすることを考えるも、家族の反対に遭い、大学に残ると、大学を続けさせてくれるお母さんや他の兄姉たちのためにも、なお一層、野球の練習に励んだという、長嶋茂雄(ながしま しげお)さんは・・・

長嶋茂雄は父の死後は家計のため立教大中退(プロ入り)を考えていた!

臨終のお父さんに日本一のプロ野球選手になることを誓ったという、長嶋茂雄(ながしま しげお)さんは、その後、苦しくなった家計を支えるため、立教大学を辞めてプロ入りすることを考えるも、家族の反対に遭い、大学に残ると、これまで以上に激しいトレーニ・・・

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