「ザ・タイガース」脱退後、ソロとしての活動を開始すると、「ザ・タイガース」時代には果たせなかった、自身の世界観を表現したアルバム「パリ1969」「1971 花」「パリⅡ」などを発表する一方で、
演歌調のシングル「哀哭」や幼児向け教育番組「ひらけ!ポンキッキ」のOP(青い空 白い雲)とED(かもめが空を)なども歌唱している、加橋かつみ(かはし かつみ)さん。
今回は、そんな加橋かつみさんの、若い頃(ソロ以降)から現在までの経歴を時系列でご紹介します。

「加橋かつみの失踪事件の真相は?「ザ・タイガース」脱退理由は?」からの続き
加橋かつみは21歳の時にアルバム「パリ1969」でソロデビュー
加橋かつみさんは、「ザ・タイガース」を脱退した数日後には、フランス・パリへと飛ぶと、
同年4月には、「ザ・タイガース」時代に果たせなかった本格的な音楽性を備えたソロアルバムの制作に取り掛かり、同年12月には、アルバム「パリ1969」でソロデビューを果たしています。

「パリ1969」
実は、加橋かつみさんは、当時、六本木・飯倉にある、文化人や著名人が集うイタリアンレストラン「キャンティ」に出入りしていたそうですが、
この「キャンティ」のオーナーで広い人脈を持つ川添浩史さんとその息子の川添象郎さんがパリでのレコーディングを後押ししてくれたそうで、
(制作費も川添浩史さんが出資したと言われています)
加橋かつみさんが「ザ・タイガース」を脱退した時、折良く、川添浩史さんがかねてから親交のあったフランスの音楽レーベル「バークレー・レコード」の経営者のエディ・バークレー氏から、日本のアーティストと契約したいと言われたことから、加橋かつみさんを紹介したそうで、
自身の息子である川添象郎さんをプロデューサーに据えて、パリでの制作プロジェクトが実現したのだそうです。
ちなみに、「パリ1969」は、加橋かつみさん自身の作品に加え、当時「キャンティ」に集っていた、安井かずみさん、村井邦彦さん、山上路夫さん、かまやつひろしさん、福沢エミさんといった豪華な面々が楽曲を提供した全12曲が収録され、叙情的で洗練された一つの物語のようなアルバムへとまとめ上げられているほか、
ジャケットデザインは、本来であれば、当時、アイドル的な人気を誇っていた加橋かつみさんの写真を大きく載せるのが商業的には”正解”だったところ、
「ビートルズ」の「ホワイト・アルバム」を彷彿とさせる、何も描かれていない真っ白なカバーで、帯を外すと誰の作品なのかすら判別できない装丁で、
売上重視のアイドル歌謡とは一線を画し、音楽そのものの質で勝負しようという、加橋かつみさんの強い美学が込められていたそうです。
加橋かつみは21歳の時、反戦ロック・ミュージカル「ヘアー(Hair)」に主演し大ヒット
また、加橋かつみさんは、このアルバム制作時に、「バークレー・レコード」のディレクターから、
(当時、世界でセンセーションを巻き起こしていた、反戦ロック・ミュージカル)「ヘアー」のパリ公演のリハーサルをやっているから観てきたら?
と、勧められ、舞台稽古を観に行くと、
いきなり、ステージの上からプロデューサーに、
東京で『ヘアー』ができないかな?
と、持ちかけられたそうで、
断る理由がなく、この申し出を引き受けると、アルバムのプロデューサーである川添象郎さんとも意気投合して、「ヘアー(Hair)」を日本に持ち帰り、加橋かつみさんが日本語への訳詞を手掛け、主演を務めているのですが、

「ヘアー(Hair)」日本公演より。(東京・東横劇場)
1969年12月、東京・東横劇場で、日本オリジナル・キャストによるミュージカル「ヘアー(Hair)」を上演すると、11万人を動員する大ヒットを記録しており、
加橋かつみさんは、
『ヘアー』に関わった時間は、ほんとうに楽しかったです。
そして、“LOVE&PEACE&FREEDOME”という『ヘアー』の基本理念は、僕がずっと大切にしている言葉でもあります。
と、語っています。

「ヘアー(Hair)」日本公演より。(東京・東横劇場)
加橋かつみは21歳の時、恩人・川添浩史の死により大きなショックを受けていた
しかし、そんな大盛況の「ヘアー(Hair)」東京公演中の1970年1月10日、「キャンティ」のオーナーだった川添浩史さんが、最終公演を見ることなく、56歳という若さで肝臓ガンにより他界。
加橋かつみさんは、恩人である川添浩史さんを実の父親のように慕っていたことから、川添浩史さんの臨終の病床に付き添っていたそうですが、川添浩史さんの死に大きな精神的ショックを受けたそうです。
加橋かつみは22歳の時、大麻取締法違反容疑で逮捕されていた
さらには、「ヘアー(Hair)」の東京公演が終わり、大阪公演が始まる直前の、1970年2月26日、加橋かつみさんは、大麻取締法違反容疑で警視庁保安二課に逮捕されてしまいます。
(ただ、警視庁に留置されるも、不起訴処分となっています)
実は、加橋かつみさんは、大盛況の「ヘアー(Hair)」の東京公演中、川添象郎さんが六本木で開いていた大麻パーティーに、「ヘアー(Hair)」で加橋かつみさんと共に主演格だった寺田稔さんとともに参加していたというのです。
そのため、大阪公演は中止となり、以降、「ヘアー(Hair)」は完全に封印されてしまったのでした。
また、加橋かつみさんの人気も急落したのでした。

加橋かつみは21歳の時に「花の世界/つばさ」、22歳の時に「愛は突然に/風のささやき」をリリース
それでも、加橋かつみさんの制作意欲は衰えることがなく、
1970年1月5日には、アルバム「パリ 1969」よりシングルカットした「花の世界/つばさ」をリリースすると、

「花の世界/つばさ」
同年5月1日は、2枚目のシングル「愛は突然に/風のささやき」をリリースしています。
(このシングルは、加橋かつみさんと同じく「キャンティ」に出入りしていた、当時17歳だった松任谷由実(当時は荒井由実)さんが作曲しています)

「愛は突然に/風のささやき」
加橋かつみは22歳の時、「ザ・タイガース」の解散コンサートに呼ばれるも瞳みのると沢田研二の反対で出演できなかった
そんな中、加橋かつみさんは、1971年1月24日、22歳の時、「ザ・タイガース」解散コンサートの最終日に、渡辺プロダクションに日本武道館に呼び出され、ステージのクライマックスに「花の首飾り」をサプライズで歌うよう言われたそうですが、
瞳みのるさんと沢田研二さんの強い反発を受け、結局は、「ザ・タイガース」解散コンサートのステージに立つことはありませんでした。
ちなみに、加橋かつみさんは、著書「日盛りの街にて」で、
その日の武道館は、満員の若いザ・タイガースファンの女の子たちが詰めかけていた。ステージはもう始まっている。僕は楽屋口から中へ入った。1階フロアのいちばん奥で壁にもたれながら、出来るだけ目立たないように見ていた…中略。
公演が終わる前に、ソッと一人で会場を抜け出した。今考えると、僕がいちばんザ・タイガースの終わりを見たくなかったのかも知れない。
と、綴っています。

「日盛りの街にて」
加橋かつみは23歳の時にアルバム「1971 花」、24歳の時に「パリⅡ」をリリース
こうして、「ザ・タイガース」が解散すると、その後は、メンバーたちがそれぞれの道を行く中、
加橋かつみさんも、
- 1971年5月「1971 花」
- 1972年10月「パリⅡ」※(再びパリで制作)
と、デビュー作の世界観を丁寧に引き継ぎ、穏やかで情感あふれる音楽の世界を見事に結実したアルバムをリリースしています。
加橋かつみは27歳の時、北島音楽事務所から「哀哭」で演歌歌手として再デビューをはかるもヒットしなかった
しかし、大麻取締法違反容疑で逮捕されて以降、人気が急落していた加橋かつみさんは、1972年頃には、家賃を数カ月滞納するなど、経済的に困窮していたそうで、
1975年、27歳の時には、見かねた元「ザ・スパイダース」の加藤充さんの紹介により、北島音楽事務所に移籍すると、
同年8月には、シングル「哀哭」で演歌歌手として再デビューしたそうですが、1971年頃より顕著となっていた声の衰えもあってヒットせず、

「哀哭」
同年(1975年)11月には、懐かしい郷愁を感じる曲を情感を込めて丁寧に歌い上げた、アルバム「郷愁」をリリースするも、こちらもヒットせず、翌年には解雇されたといいます。

「郷愁」
加橋かつみは31歳の時、「ひらけ!ポンキッキ」のOPとEDのほか「ニルスのふしぎな旅」の主題歌も歌唱していた
それでも、加橋かつみさんは、1977年には、アルバム「青春の残像」をリリースすると、
1979年には、当時、一世を風靡していたロック・バンド「ゴダイゴ」の事務所に移籍し、同年4月から1986年3月まで、NHKの幼児向け番組「ひらけ!ポンキッキ」でオープニング曲「青い空白い雲」とエンディング曲「かもめが空を」を歌唱するほか(作曲はタケカワユキヒデさん)、
1979年8月には、にっかつ映画「十八歳、海へ」の主題歌、
1980年には、NHKアニメ「ニルスのふしぎな旅」の主題歌も歌唱し、シングルを発表しています。(作曲はタケカワユキヒデさん)
加橋かつみは32歳の時、「ザ・タイガース同窓会」に参加していた
そんな中、1981年1月には、内田裕也さんを中心に、「さよなら日劇ウエスタン・カーニバル」が開催され、「ザ・スパイダース」「ジャッキー吉川とブルーコメッツ」「ザ・カーナビーツ」など往年のグループ・サウンズが再集結すると、
加橋かつみさんも、内田裕也さんの依頼で、(瞳みのるさんを除く)沢田研二さん、岸部一徳さん、森本太郎さんとともに、「ザ・タイガース」として参加し、
翌年の1982年、31歳の時には、岸部シローさん(加橋かつみさん脱退後「ザ・タイガース」に新加入)を加えた5名での「ザ・タイガース同窓会」にも参加し、

(後列左から)岸部一徳さん、岸部シローさん、森本太郎さん、(前列左から)沢田研二さん、加橋かつみさん。
同年2月5日、アルバム「THE TIGERS 1982」とシングル「色つきの女でいてくれよ」を同時発売すると、いづれもヒットを記録しています。

(「再結成」ではなく「同窓会」と言っていたのは、参加しなかった瞳みのるさんに配慮したからだそうで、「ザ・タイガース同窓会」は1983年まで活動しています)
加橋かつみは64歳の時、「ザ・タイガース」再結成に参加していた
そして、2011年9月には、瞳みのるさんが沢田研二さんの全国ツアーに加わることになり、ついに、「ザ・タイガース」のメンバーが、全員集結すると思われたのですが・・・
実は、加橋かつみさんは、沢田研二さんに対するわだかまりを持ち続けていたそうで、「ザ・タイガース」全員で再結成を望む沢田研二さんがメールをするも、拒否し続けていたといいます。
それでも、沢田研二さんが、全国ツアーが終わった数日後、個人的に会いに来て謝罪し、「ザ・タイガース」への熱い思いを語ったことで、加橋かつみさんも心を開いたそうで、
2013年には、実に44年ぶりに(1969年以来)「ザ・タイガース」がオリジナルメンバーで復活(再結成)し、同年12月に日本武道館からスタートした復活ライブでは、全国8会場で10万人を集めるなど、復活を心待ちにしていた往年のファンを再び熱狂の渦に巻き込んでいます。

2013年の「ザ・タイガース」再結成より。(左から)岸部一徳さん、瞳みのるさん、岸部シローさん、沢田研二さん、加橋かつみさん、森本太郎さん。
加橋かつみの現在は?
そんな加橋かつみさんは、現在は、銀座タクトをはじめとするライブハウスを中心に、精力的にステージを重ねているほか、GS(グループ・サウンズ)を振り返るイベントやコンサートにも出演し、
2026年3月15日には、大阪の新歌舞伎座で開催される「THE G.S~栄光のグループサウンズ~アンコール!!」にも出演しています。
また、最近では、メディアでのインタビュー記事なども公開されており、自身のこれまでのキャリアを振り返りつつ、現在も現役で音楽と向き合う姿が伝えられています。
「加橋かつみが沢田研二と不仲な原因は?現在の関係(距離感)は?」に続く

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かつて日本中を熱狂させたグループ・サウンズの筆頭「ザ・タイガース」の中心メンバーであった加橋かつみ(かはし かつみ)さんですが、同様に中心メンバーだった沢田研二さんに対し、長年に渡って複雑な感情を抱いているといいます。 …














