石井ふく子さんに見出されて表舞台に登場して以降は、浅利慶太さんにスカウトされたり、NHK大河ドラマで主演に起用されたりと、引っ張りだことなった、石坂浩二(いしざか こうじ)さん。その勢いは止まらず、1976年には、金田一耕助シリーズ「犬神家の一族」が大ヒットを記録します。
「石坂浩二は昔は浅利慶太スカウトで劇団四季?NHK大河ドラマ主演も!」からの続き
水前寺清子とのホームドラマ「ありがとう」も大ヒット
こうして、主演のNHK大河ドラマ「天と地と」が高視聴率を記録すると、時代劇の依頼が殺到するも、時代劇専門の俳優になりたくなかった石坂さんは、依頼をすべて断り、
翌年の1970年、石井ふく子さんプロデュースのホームドラマ「ありがとう」に、水前寺清子さん演じるヒロインの恋人役で出演すると、これまた大ヒット。
「ありがとう」より。石坂さんと水前寺清子さん。
石坂さんと水前寺さんは、恋人役として、「婦人警官編」「看護婦編」「鮮魚店編」と設定を変えて3部作に出演されているのですが、特に、石坂さんが医者、水前寺さんが看護婦役を演じられた「看護婦編」が人気を博し、視聴率56.3%を記録する大ヒットとなっています。
「ありがとう(看護婦編)」より。石坂さんと水前寺清子さん。
市川崑監督から金田一耕助役のオファー
そして、1975年には、市川崑監督とトヨタのCMでの撮影で知り合われると、
しばらくして、市川さんから、
今度、横溝正史の「犬神家の一族」をやる。金田一耕助をやらないか?
と、誘われます。
ただ、これまで映画化されてきた金田一耕助は、原作と異なり、背広を着てピストルを持っている人物として描かれていたため、今回もそうだろうと、石坂さんは一旦は断られるのですが、
市川さんが、
今回は原作通りにやりたい
と言われたことで、引き受けることに。
実は、原作に登場する金田一耕助は、ヨレヨレの着物に袴をはき、推理の時には、ボサボサ頭をかきむしってフケが舞い散るという、なんともヒーローとはかけ離れた人物で、それまでは、背広を着てピストルを持たせ、ヒーローっぽく描かれていたのでした。
金田一耕助シリーズ「犬神家の一族」「悪魔の手毬唄」などが大ヒット
こうして、1976年、映画「犬神家の一族」が公開されると、たちまち大ヒット。(当時としては空前の、17億円という興行収入を記録)
「犬神家の一族」より。島田陽子さんと石坂さん。
そして、その後も、
1977年「悪魔の手毬唄」「獄門島」、
「悪魔の手毬唄」より。(左から)石坂さん、若山富三郎さん、岡本信人さん、加藤武さん。
「獄門島」より。石坂さんと大原麗子さん。
1978年「女王蜂」、
「女王蜂」より。(左から)高峰三枝子さん、司葉子さん、岸惠子さん、石坂さん。
1979年「病院坂の首縊りの家」、
「病院坂の首縊りの家」より。佐久間良子さんと石坂さん。
が、ことごとくヒットし、金田一耕助役は石坂さんの当たり役となったのでした。
また、石坂さんは、時を経た2006年にも、市川監督の最後の作品となった「犬神家の一族」のリメイク版で、27年ぶりに金田一耕助を演じられているのですが、
「犬神家の一族」(2006)より。石坂さんと深田恭子さん。
後に石坂さんは、
全員を集めての謎解き場面は、カメラ位置を変えて、通しで7回やりました。同じ芝居をしないと編集できないのですが、「ここでせきをしろ」とおっしゃる。確かにせきをすると、その前後で同じ芝居をしやすいんです。
犯人が私にすべてを知られていることに気づく場面では、「分かりやすい芝居はするな。それでも犯人に『気づきましたね』と伝わるようにやれ」という。
セリフも、最初はたたみかけるように、犯人が気づくあたりでは間を取って、と緩急を付ける。これね、観客がくぎ付けになるんです。
と、市川監督の演出を絶賛されています。
ちなみに、当初、石坂さんが金田一耕助役をやることには(この作品が、角川映画の記念すべき第一弾だったこともあり)、角川春樹社長(当時)ほかスタッフの大半が大反対していたそうですが、市川監督がたった一人で石坂さんを推し、出演が決まったそうで、石坂さんと市川監督は、まさしく、ゴールデンコンビとなられたのでした。
石坂さんと市川崑監督。
ボサボサ頭やフケは本物?
ところで、金田一耕助といえば、「ボサボサ頭」と「フケ」。
実は、当初はカツラだったそうですが、後に地毛で演じられたそうで、
「ボサボサ頭」は、
- 銀髪になるまで脱色してから、再び黒く染め、
- パーマをかけては、パーマを抜く
という、頭髪には最悪の工程を繰り返して作られ、
「フケ」は、フケに見えそうなものを頭に塗り込んではテスト撮影を繰り返し、最終的には、パン粉に、包丁などを研ぐ砥石の粉を混ぜたものが使用されたのだそうです。
ちなみに、石坂さんは、
「ボサボサ頭」に関しては、
髪の毛が細くなり切れるのが難点
で、(そらそうでしょ)
「フケ」に関しては、
撮影中は、毎日、パン粉と砥石の粉を頭に塗り込んでいたことから、
頭を洗うことがほとんど出来なかった
と、苦労を明かされています。
苦労の甲斐あって、とてもきちゃないです。
真冬に城の堀を泳がされたことも
こうして、金田一耕助役では、風貌作りにも、体を張って取り組まれた石坂さんですが、ほかのドラマでは、駆け出しのお笑い芸人レベルに体を張ったこともあったそうです。
というのも、石坂さんが30歳になるかならないかくらいの頃には、あるドラマで、雪が降る寒い夜に、忍者装束でどこかの城の堀を泳がされ、体が浮いてくるのを防ぐため、衣装の中に石をいくつも入れて潜らされたというのです。
そして、懐中電灯の明かりを頼りに浮かび上がってくるように言われるも、水が濁っていて何も見えず、さらに、石垣を登るよう命じられた時には、衣装は濡れているわ、石は重いわで全然登ることができなかったそうで、この時は、本当に辛かったとおっしゃっていました(笑)
「石坂浩二の水戸黄門降板の真相は?やすらぎの郷では70代で主演!」に続く
https://www.youtube.com/watch?v=isaKZAt3DcQ