日活の看板女優として、数多くの映画でヒロインを務め、絶大な人気を博した、浅丘ルリ子(あさおか るりこ)さん。

そんな浅丘ルリ子さんは、山田洋次監督の映画「男はつらいよ」シリーズでは、4回も(最多)マドンナ役を演じているのですが、

今回は、浅丘ルリ子さんのデビューからの出演作品(テレビドラマ、映画)を画像を交えてご紹介します。

「浅丘ルリ子の生い立ちは?若い頃は歌手で愛の化石!ルリ子カットって?」からの続き

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リリー役で「男はつらいよ」のマドンナ4回(最多)

浅丘ルリ子さんは、1973年、33歳の時、映画「男はつらいよ 寅次郎忘れな草」で、マドンナ役のクラブ歌手リリーを演じられているのですが、

当初、山田洋次監督からは、北海道の牧場で働く女性の役だと聞かされ、心配になった浅丘ルリ子さんが、

わたし、こんな手をしているんですよ

と、自身のか細い手を山田監督に見せたところ、

山田監督は、じっと浅丘ルリ子さんの手を見つめられたそうで、

後日、届いた台本では、浅丘ルリ子さんの役は、

場末のキャバレーを渡り歩く歌手

に変わっていたのだそうです。

すると、それまでのマドンナは、良家のお嬢様だったり、貞淑な婦人だったのですが、浅丘ルリ子さん演じるさすらいの歌手リリーは、勝ち気な反面、夜汽車の中で一人窓の外を見ては泣いたり、家族に見送られて出港する漁船を見ながら、

ね、私たちみたいな生活ってさ、普通の人とは違うのよね。あってもなくてもどうでもいいみたいな、つまりさ……あぶくみたいなもんだね

と、寅さんにささやくような、異色なマドンナで大好評。


「男はつらいよ 寅次郎忘れな草」より。渥美清さんと浅丘ルリ子さん。

以降、浅丘ルリ子さんは、

1975年「男はつらいよ 寅次郎相合い傘」


「男はつらいよ 寅次郎相合い傘」より。

1980年「男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花」


「男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花」より。

1995年「男はつらいよ 寅次郎紅の花」


「男はつらいよ 寅次郎紅の花」より。

と、いずれもリリー役で登場し、シリーズ最多4回のマドンナ出演となったのでした。

寅さんとリリーは結婚していたかもしれなかった

ところで、浅丘ルリ子さんは、「男はつらいよ 寅次郎紅の花」のロケ中、主演の渥美清さんが、いつもはよく響く声が、かすれがちで、

とてもおつらそうなの。「寅さーん!」と抱きついても、以前ならボーンと受け止めてくれたのに、細いんです、すごく。組むのも悪いような気がしました。

と、異変を感じ、

絶対これが最後だわ

と、思われたことから、

(最後の作品になるかもしれないから)寅さんとリリーを結婚させてほしい

と、山田監督に何度も懇願されていたというのです。

しかし、50作まで作る予定だった山田監督は、浅丘ルリ子さんの願いを聞き入れず、結局、浅丘ルリ子さんの不安は的中。

スタッフの誰も知らされていなかったのですが、実は、渥美さんは、その時すでにガンに冒されており、映画公開から9ヶ月後に他界。「寅次郎紅の花」は渥美さんの最後の作品となってしまったのでした。

山田監督の眼力が衰えていたのか、それとも、分かったうえで、できる限り50作に近づけたかったのかは分かりませんが、いずれにせよ、寅さんがリリーと結婚して最終話となっていれば最高の完結でしたね。

歌手・元ちとせ(はじめ ちとせ)を見出す

また、浅丘ルリ子さんは、この「男はつらいよ 寅次郎紅の花」で、ロケ地の奄美・加計呂麻(かけろま)島を訪れた際、島の人々がホテルで開いてくれた歓迎会で、一人の少女が島唄を披露したのを聞いて、その美しい歌声に驚き、その少女のテープを買われたそうで、

翌日、撮影現場でその少女を見かけると、

あんたのテープ、買いに行ったよ

と、声をかけ、少女をびっくりさせたそうです。

実は、この少女、当時高校2年生の元ちとせ(はじめ ちとせ)さんで、前年、高校1年生の時、「奄美民謡大賞・青年の部」新人賞を受賞し、1995年に奄美市のセントラル楽器からシマ唄のカセットテープ「ひぎゃ女童(めらべ)」を発売し、民謡歌手として活動を始めたばかりだったのです。


ひぎゃ女童(めらべ)

大女優然とせず、気さくな浅丘ルリ子さんに、元さんが驚かれた姿が目に浮かびますね♪

ちなみに、このことがきっかけだったのかどうかは分かりませんが、「男はつらいよ 寅次郎紅の花」の劇中で、元さんが歌う島唄「朝花節」がBGMとして使われています。

新車の中の女?

そんな浅丘ルリ子さんは、1976年、セバスチアン・ジャプリゾの小説「新車の中の女」(原題「La Dame dans l’auto avec des lunettes et un fusil」望月芳郎訳)原作の、同名のテレビドラマで主演を務められているほか、主題歌「白い旅」を歌手の真木悠子さんとともに担当されているのですが、

浅丘ルリ子さんが「語り」、真木さんが「歌唱」を担当された、このボサノバタッチの曲は、一度聴いたら忘れられない名曲として、今もなお、ファンの間で語り継がれているようです。

また、このEPのジャケットの中で、浅丘ルリ子さんが乗っているのはフォード社の「サンダーバード」という、当時、2ドア・ハードトップとして一世を風靡したアメリカ車なのですが、その後、日本でもトヨタが真似をして「セリカ」を作るなど、2ドア・ハードトップが大流行したのだとか。

それにしても、サイズも超ビッグなアメリカンスタイルの車の場合、普通、日本人が乗ると、イケイケ感が否めないのですが、浅丘ルリ子さんが乗ると、なぜか、とてもオシャレに見えてしまいますね。

出演作品(テレビドラマ)

それでは、ここで、浅丘ルリ子さんのそのほかの出演作品もご紹介しましょう。

テレビドラマでは、

1955年「どんぐり日記」
1966年「真田幸村」
1968年 NHK大河ドラマ「竜馬がゆく」
1969年「90日の恋」
1970年「徳川おんな絵巻」
1971年「2丁目3番地」


「2丁目3番地」より。浅丘ルリ子さんと石坂浩二さん。

1972年「冬物語」
1973年「婦系図」
1974年「白い滑走路」
1975年「座頭市物語」
1976年「二丁目の未亡人は、やせダンプといわれる凄い子連れママ」
1977年「秋日記」
1978年「家族熱」


「冬物語」より。原田芳雄さんと浅丘ルリ子さん。

1980年「虹の果てには 仮説・三億円事件」
1981年「土曜日曜月曜」
1982年「他人家族」
1983年「知床の子」
1984年「離婚テキレイ期」
1985年「松本清張の黒い画集・紐」

1986年「聖子は鳥になった」
1987年「ここの岸より」
1988年「忠臣蔵・いのちの刻」
1989年「アイラブユーからはじめよう」
1991年「小指の思い出」
1992年「雀色時」
1993年「嵐の中の愛のように」


「忠臣蔵・いのちの刻」より。美空ひばりさんと浅丘ルリ子さん。

1998年「二十六夜参り」
2002年「逃亡」
2003年「川、いつか海へ 6つの愛の物語」
2007年「火曜ドラマゴールド 大女優殺人事件」
2009年「小公女セイラ」
2017年「やすらぎの郷」
2019年「やすらぎの刻~道」


「やすらぎの郷」より。(左から)加賀まりこさん、石坂浩二さん、浅丘ルリ子さん。

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出演作品(映画)

映画では、

1955年「緑はるかに」
1956年「愛情」
1957年「鷲と鷹」
1958年「夜の牙」
1959年「世界を賭ける恋」
1960年「拳銃無頼帖 抜き打ちの竜」


「鷲と鷹」より。

1961年「銀座旋風児 嵐が俺を呼んでいる」
1962年「銀座の恋の物語」
1963年「アカシアの雨がやむとき」
1964年「赤いハンカチ」
1965年「夜明けのうた」


「銀座旋風児 嵐が俺を呼んでいる」より。浅丘ルリ子さんと小林旭さん。

1966年「二人の世界」
1967年「愛の渇き」
1968年「遊侠三国志 鉄火の花道」
1969年「女体」
1970年「戦争と人間・第一部 運命の序曲」
1971年「戦争と人間・第二部 愛と悲しみの大河」


「女体」より。浅丘ルリ子さんと岸田今日子さん。

1973年「戦争と人間・第三部 完結篇」
1975年「想い出のかたすみに」
1976年「天保水滸伝 大原幽学」
1978年「渚の白い家」
1986年「鹿鳴館」


「戦争と人間・第三部 完結篇」より。吉永小百合さんと浅丘ルリ子さん。

1972年「蒼ざめた日曜日」
1994年「四十七人の刺客」
2002年「木曜組曲」
2006年「博士の愛した数式」
2010年「ジーン・ワルツ」
2011年「デンデラ」


「ジーン・ワルツ」より。(左から)菅野美穂さん、浅丘ルリ子さん、田辺誠一さん。

ほか、数多くの作品に出演されています。

「浅丘ルリ子の現在は?デンデラで姥捨て山?やすらぎの郷で石坂浩二と!」に続く

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