結婚当初から、篠原涼子さんのわがままに振り回されながらも、大人の余裕でうまく関係を保ってきたという、市村正親(いちむら まさちか)さんですが、篠原さんが本格的に仕事を再開すると同時に、夜な夜な飲み歩くようになると、一気に二人の関係がほころび始めたといいます。
「市村正親は結婚当初から篠原涼子のワガママを容認していた!」からの続き
篠原涼子は市村正親の留守を見計らって夜に外出していた
自由奔放な姿が、度々「女性自身」の記者に目撃されていた、篠原涼子さんですが、当初は、市村さんが、地方公演で長期間、家に帰らない時を見計らって、夜に外出していたそうで、
篠原さんの知人によると、
舞台で活躍する市村さんは地方公演が多いので、長期間家に帰らないこともあります。そのタイミングで、篠原さんは共演者やスタッフと出かけるように。朝帰りすることもあった。
子供のことは気にしていましたが、お酒を飲むと盛り上がり、最後まで居残るタイプです。家にシッターさんがいることもあり、次第に頻度も多くなっていったようです
と、外に出るようになった篠原さんは、もともと持っていた自由でオープンな性格が戻り、その雰囲気が相乗効果をもたらし、仕事もさらに順調になっていったそうですが、
同時に、結婚時にはまったく気にならなかった市村さんとの年齢差も気になるようになっていったそうです。
市村正親は篠原涼子に夜遊びを注意したことで離婚を切り出されていた
そんな妻を、当初は黙認していた市村さんですが、次第に、篠原さんの自由奔放ぶりにしびれを切らすようになっていったそうで、
ある時、市村さんが篠原さんの夜遊びを注意すると、いつもは仕事先のスタッフとの付き合いで断れなかったと言い訳しながらも謝る篠原さんが、その時は気持ちが高ぶったようで、「もう別れたい」「離婚する!」と言い返したといいます。
市村正親が夜遊びを容認するようになると篠原涼子は朝帰りもしばしばに
ただ、市村さんとしては、70代になっての離婚だけは避けたいと考えており、このケンカがトラウマになったようで、ある程度なら自由にしてもらっていいからと、篠原さんを容認するようになっていったそうですが、
篠原さんは、これをいいことに、自宅に市村さんがいる時でも外出するようになっていき、さらには、これまで深夜には帰宅していたのが、朝帰りまでするようになっていったのだそうです。
市村正親は篠原涼子に「浮気してもいいから世間に隠してほしい」と懇願していた?
そんな状況に我慢ならなくなった市村さんは、その怒りを、篠原さんの仕事関係者に、
本人は仕事と言っているが実際はどうなのか
事務所の管理がなっていないのではないか
と、ぶちまけたこともあったそうですが、
その一方で、篠原さんには、
浮気してもいいから、きちんと世間には隠してほしい
子供と自分の年齢のことを考えてほしい
と、懇願していたそうで、
そんな夫婦関係が長続きするはずもなく、ついに、離婚となってしまったのでした。
ちなみに、「女性セブン」の記事は、
1973年、篠原の生まれた年にデビューした市村は、劇団四季の看板俳優を務めた後、ミュージカルにドラマにと幅広く活躍してきた。2019年には国から旭日小綬章を受章するなど、押しも押されもせぬ名俳優。
いくつもの当たり役を持つ壮年の男性が、妻のために頭を垂れる。それでも篠原は変わらなかった。
と、締めくくっていました。
さて、いかがでしたでしょうか。
市村さんの、
- 年齢は?出身は?身長は?
- 本名は?先祖は真田幸村の父・真田昌幸と戦った武士
- 先祖は松井松平家に仕える武士だった
- 廃藩置県でやむなく武士から農家にへ転身
- 父親・信行はエリート軍人だった
- 旧満州でのソ連国境警備は過酷なものだった
- 父親・信行は「華北交通株式会社」に入社
- 父親・信行は親しくしていた地元の有力者が殺害されたことをきっかけに帰国
- 父親・信行が栗原こう(市村正親の母親)と見合い結婚
- 父親・信行が新聞社「武州新報」を立ち上げる
- 母親・こうが始めた大衆居酒が大繁盛
- 幼少期から人を喜ばせることが好きだった
- 小学校時代は映画館通いをしていた
- 父親が三度選挙に立候補するも三度とも落選
- 中学校時代は柔道部
- 高校では体操部に入部も高2の時にバック宙に失敗し3ヶ月入院
- 高2の時に演劇に目覚める
- 高校時代には日活映画に出演したことも
- 劇団「新制作座」の主宰女優・真山美保の言葉に感銘を受ける
- 劇団「民芸」の滝沢修の演技を見て俳優になろうと決意
- 歌舞伎俳優の八代目市川中車にアドバイスを受ける
- 「舞台芸術学院」に入学
- 西村晃の付き人になる
- 西村晃の付き人時代には大きなミスを犯すも特に怒られず許してもらっていた
- 西村晃の付き人を辞めて独立することを決意
- 「劇団四季」の「イエス・キリスト=スーパースター」で舞台デビュー
- 「劇団四季」に入団
- 舞台「エクウス」の主演でたちまち脚光を浴びる
- 浅利慶太から厳しい演技指導を受けていた
- 舞台「エクウス」の成功で有頂天になっていた
- 浅利慶太にスタッフへの配慮のなさを指摘されていた
- 浅利慶太を激怒させ平謝りしていた
- 「劇団四季」の看板俳優として活躍
- 父親と母親の強い絆を知る
- 「オペラ座の怪人」の主演に抜擢
- 浅利慶太は市村正親の「オペラ座の怪人」主演を反対していた
- 「オペラ座の怪人」のファントム役でブレイク
- 「劇団四季」退団を決意した理由とは
- 「ミス・サイゴン」でメインキャストのエンジニア役に抜擢される
- 「ミス・サイゴン」のエンジニア役が当たり役に
- 「ミス・サイゴン」のエンジニア役は初演からずっと出演
- 鹿賀丈史とは「劇団四季」の同期でライバル視していた
- 浅利慶太から鹿賀丈史のクレソン扱いされていた
- 浅利慶太から主役向きの顔じゃないとダメ出しされていた
- 鹿賀丈史の存在を嫉妬から自身の成長の糧に昇華
- 近年は対等な役で鹿賀丈史と共演
- 出演作品(映画)
- 出演作品(テレビドラマ)
- 出演作品(舞台)(劇団四季)
- 出演作品(舞台)(劇団四季退団後)
- 受賞・受章歴
- 最初の妻は女優の八重沢真美
- 八重沢真美との離婚理由は?
- 篠原涼子との馴れ初めは?
- 市村正親が舞台初挑戦の篠原涼子を支えていた
- 篠原涼子の父親は結婚に反対していた
- 篠原涼子の父親が結婚を反対していた理由とは?
- 篠原涼子の父親が結婚に際して出した条件とは?
- 結婚報告の記者会見ではお互いべた惚れの様子だった
- 先の長くない篠原涼子の父親のために結婚パーティーを開催
- 篠原涼子の父親が他界
- 息子2人を溺愛するも子役はさせない方針
- 早期の胃ガンが発覚し腹腔鏡手術を受けていた
- 胃ガンが早期発見できたのは篠原涼子のお陰だった
- 篠原涼子は仕事をキャンセルして市村正親の入院生活をバックアップしていた
- 市村正親が退院後も篠原涼子は献身的にサポートしていた
- 一部週刊誌に離婚危機が報じられる
- 離婚危機報道は単なる噂だった?
- 篠原涼子が離婚危機報道を完全否定
- 週刊誌「女性自身」に別居が報じられる
- 市村正親が一人で育児に励んでいた
- 別居理由はコロナ禍によるものであると篠原涼子の所属事務所が回答
- 別居は約1年経っても続いていた
- 篠原涼子の所属事務所は依然として別居理由をコロナ禍によるものと説明
- 市村正親と篠原涼子はCM契約等のため不仲を認められない状況だった?
- 市村正親と篠原涼子の不仲説を否定する関係者も
- 「おちょやん」の挨拶で「正親、ごめん!」
- 市村正親と篠原涼子が連名ファックスで離婚を発表!
- 親権は父親である市村正親
- 離婚理由は市村正親のストイックさだった?
- 市村正親は結婚当初から篠原涼子のワガママを容認していた
- 篠原涼子は仕事を本格化させた後、毎晩飲み歩くようになっていた
- 篠原涼子は不倫願望や市村正親の愚痴を口にしていた
- 篠原涼子は江口洋介と深夜までデートしていた
- 篠原涼子は市村正親の留守を見計らって夜に外出していた
- 市村正親は篠原涼子に夜遊びを注意したことで離婚を切り出されていた
- 市村正親が夜遊びを容認するようになると篠原涼子は朝帰りもしばしばに
- 市村正親は篠原涼子に「浮気してもいいから世間に隠してほしい」と懇願していた?
について、まとめてみました。
結婚当初から離婚の会見時まで、妻を思いやる優しさや寛容さが現れ、どこまでも大人な市村さんの対応が印象的でしたが、そんな対応が篠原さんの浮気心を加速させたのか否か・・・
離婚発表では、「涼子との出会いは私の人生最大の喜び」と語るなど、ところどころ、篠原さんとの離婚に未練をにじませていた市村さんですが、是非ともこの先、幸せな人生を過ごしてもらいたいものです。
「市村正親の先祖は戦国時代に真田幸村の父と戦った武士だった!」