2016年には自宅アパート内で倒れ、病院に搬送されるも、大事には至らず、翌日には無事退院した、オノ・ヨーコさんですが、2017年には、健康状態が悪化し、長年、確執が噂されていた、元「ビートルズ」のポール・マッカートニーさんやリンゴ・スターさんとの関係修復に努めようとしていることが報じられると、その後、実弟の小野啓輔さんにより、「DLB(レビー小体型認知症)」であることが明かされます。
2017年の帰国は医者に診てもらうのが目的だった
2017年5月、オノさんの実弟・小野啓輔さんが、「週刊新潮」(2017年5月4日・11日)の取材に対し、オノさんの病状について、「DLB(レビー小体型認知症)」であることを明かしています。
「週刊新潮」によると、啓輔さんは、
姉の体調は良くない。良くないのは当たり前なんだよな。85歳になろうとしている人間がだね、“体調がいいです”なんてことは少ないよ
確かに(2017年1月に)反トランプのデモに出たり、アイスランドで光の塔を作って(毎年恒例の)セレモニーをしたり、結構そういうのやってんだよ。
一見エネルギッシュかもしれないけど、実際は違うなぁ。最後に会ったの?今年(2017年)の1月中旬かな。日本に来たの。あとで分かったんだけど、体調が良くないから医者に診てもらうのが目的。
だけど、病院には行かなかったと思う。行ったって聞いてないから。姉が西洋医学で診断された病気はね、東洋医学の方では進まないようになる(進行を遅らせる)可能性があると。看護婦さんやお手伝いとか車椅子を押すのがいるから、症状をあまり言わないんだよ
と、明かしたほか、
オノさんの息子・ショーンさんから、2016年2月にオノさんが救急搬送された時はインフルエンザも、同年5月頃には「DLB(レビー小体型認知症)」と診断され、2017年2月には、「DLB」の症状が出ていたと聞いたことも、明かしたとのことでした。
(そのため、ショーンさんは、はっきりとは言わなかったものの、音楽活動をストップして、お母さんの介護をしているようだったとのことでした)
車椅子で押されるオノさん。
2017年に帰国した際には弟の小野啓輔と再会していた
また、啓輔さんによると、オノさんが2017年1月中旬に帰国した際には、看護師2人を伴ったオノさんと会ったそうですが、
オノさんは、その時、
私はもう車椅子なのよ
と、言っていたそうで、
啓輔さんも、それに対し、
俺はもう杖だよ
と、返すなど、雑談を交わしたそうです。
ただ、オノさんは、一緒に写真を撮る時には、ちゃんと立っていたそうで、
啓輔さんは、
80歳を過ぎた老人というのは何があってもおかしくないんだよ。いずれは分かってしまうことだからな・・・
と、語っています。
「DLB(レビー小体型認知症)」とは
ちなみに、「DLB(レビー小体型認知症)」とは、老化に伴って神経細胞が死んでいき、認知症などの症状が現れてくる「神経変性疾患」の一つのことをいうそうで、
(この疾患が現れたからといって、いわゆる”認知症”ではなく、認知機能障害で自立した生活ができなくなった状態を”認知症”と呼ぶのだそうです)
特徴的な症状として、「幻視」(ないものが見える)と、「パーキンソン症状」(運動の障害で、具体的には、動きが鈍くなったり、手足が硬くなったり、震えが出たりする)が合併症として現れることが多いのだそうです。
夫ジョンレノンの死から40年目の2020年12月8日にツイート
そんなオノさんは、夫のジョン・レノンさんが暗殺されてからちょうど40年目にあたる、2020年12月8日には、
愛する人の死は心をえぐられるような経験だ。40年たった今でもさみしい
と、ツイート。
同日には、たくさんのファンが、ニューヨーク・セントラルパーク内にある追悼スペース「ストロベリー・フィールズ」に訪れ、献花をしたり、ジョンさんの歌を歌うなどして、ジョンさんを偲んだそうです。
(ジョンさんは、1980年12月8日、このセントラルパークに面した自宅である高級集合住宅「ダコタ・ハウス」前で凶弾に倒れました)
さて、いかがでしたでしょうか。
オノ・ヨーコさんの、
- 年齢は?出身は?身長は?本名は?
- 母方の曾祖父は安田財閥の創始者・安田善次郎
- 母方の祖父は安田財閥人で安田銀行総裁・安田善三郎
- 父親は横浜正金銀行(現在の三菱UFJ銀行)の役員・小野英輔
- 家系図
- 幼少期は広大な別荘で過ごすも孤独だった
- 幼少期から音楽好きな両親の影響を受けて育つ
- 学習院大学では哲学を学んでいた
- 最初の夫は音楽家・一柳慧
- 一柳慧は「実験音楽の奇才」と称される音楽家で「文化勲章」を受章
- 一柳慧と結婚後は前衛芸術家として活動しNYで注目を集めるように
- 一柳慧との新婚生活は経済的に困窮していた
- 夫の一柳慧が単身帰国
- 帰国後は自殺を図り精神病院に入れられていた
- 2番目の夫はジャズミュージシャンで映像作家のアンソニー・コックス
- 「カット・ピース(Cut Piece)」「グレープフルーツ(Grapefruit)」を発表
- 「カット・ピース(Cut Piece)」では服だけでなく下着も切らせていた
- 再びニューヨークに戻るとやがてロンドンに拠点を移す
- ジョン・レノンとの出会い
- ジョン・レノンとはアート作品「釘(くぎ)を打つための絵」で共感
- ジョン・レノンはアート作品「天井の絵」の”yes”に救われた気がしていた
- ジョン・レノンと共にアーティスト活動を行うように
- 不倫現場をジョンレノンの妻シンシアに目撃されていた
- 2人目の夫アンソニー・コックスと離婚すると娘のキョーコにも断絶される
- 当初は結婚できる国がなかった
- ジブラルタルで結婚式を挙げる
- 「ベッド・イン」(平和のためのパフォーマンス)
- 「ビートルズ」解散の元凶とされ嫌われ者のレッテルを貼られる
- 「ビートルズ」のメンバーはオノ・ヨーコの存在にウンザリしていた
- オノ・ヨーコはジョンレノンにとって母親的存在だった
- オノヨーコはビートルズのど真ん中に座っていた
- ポール・マッカトニーはオノヨーコが「ビートルズ」解散の原因でないことを強調するも・・・
- 「ビートルズ」の解散の原因はジョンレノンとするも・・・
- 夫ジョン・レノンは普段から誰にでも気軽にサインや写真撮影に応じていた
- すぐ近くにいた夫ジョン・レノンが銃撃される
- 夫ジョン・レノンは病院搬送中はまだ意識があった
- 夫ジョン・レノンの死亡を聞くと、崩れ落ち、床に頭を打ち付けていた
- 3人だけに夫ジョン・レノンの死を伝えていた
- ジョンレノンを射殺した犯人はマーク・チャップマン
- マーク・チャップマンはジョン・レノンの狂信的なファンだった?
- マーク・チャップマンは事前にジョン・レノンの殺害を計画していた
- マーク・チャップマンはジョン・レノンを殺害する前日「ダコタハウス」前をうろついていた
- マーク・チャップマンは犯行当日ジョン・レノンにサインをもらっていた
- マーク・チャップマンは終身刑で現在(2021年)も服役中
- マーク・チャップマンがオノ・ヨーコに謝罪
- オノ・ヨーコが「ジョン・レノン殺害はアメリカ政府によるものかも」と語る
- オノ・ヨーコ&ジョン・レノン夫妻は米連邦捜査局(FBI)から厳しく監視されていた
- オノ・ヨーコの永住権は認められるもジョン・レノンは再び国外退去を命じられていた
- ジョン・レノンは抗議活動によりグリーンカード(永住権)を取得していた
- ジョンレノンは殺害されることを予期していた?
- ジョン・レノン殺害には「陰謀的暗殺説」「CIA催眠術説」も
- 名曲「imagine(イマジン)」はジョン・レノンとオノ・ヨーコの共作だった
- 「imagine(イマジン)」の歌詞はオノヨーコの作品集「グレープフルーツ」から取られていた
- オノヨーコが「imagine(イマジン)」の共作者ということを隠していた理由とは
- 「imagine(イマジン)」が東京オリンピック(五輪)開会式で披露されたことを受けコメント
- 黒い大きなサングラスはジョンレノンの勧めだった
- 娘(長女)はキョーコ・コックス
- 5歳の娘(長女)のキョーコ・コックスから絶縁されていた
- 娘(長女)のキョーコ・コックスと和解
- 現在は娘(長女)のキョーコ・コックスと良好な関係
- 息子(長男)はショーン・レノン
- 息子(長男)ショーン・レノンはロックバンド「Nirvana」に入りたかった
- 息子(長男)ショーン・レノンはHONDA「フリード」や資生堂「ダンガリー」のCMにも出演していた
- 息子(長男)ショーン・レノンは主夫のジョンレノンに育てられていた
- NHK「ファミリーヒストリー」に息子(長男)ショーン・レノンと出演
- 息子(長男)ショーン・レノンに事業を引き継いでいた
- 自宅アパートで倒れ救急搬送されていた
- 健康状態が悪化していた
- 車椅子姿
- 終活としてポール・マッカートニーらとの関係回復を決意?
- 2017年の帰国は医者に診てもらうのが目的だった
- 2017年に帰国した際には弟の小野啓輔と再会していた
- 「DLB(レビー小体型認知症)」とは
- 夫ジョンレノンの死から40年目の2020年12月8日にツイート
について、まとめてみました。
2020年10月のインタビューでは、
父親のジョンが亡くなって、(息子の)ショーンには本当に悪いことをしてしまった。だって、私が死んだら、息子は親無し子になってしまうから。
でも、私にはどうしてもやらなきゃいけないことがあるの。それはジョンと一緒に見続けてきた夢・・・。たとえ私が死んでも、いつか空の上でジョンと一緒になれると信じて、命が続く限りずっと活動を続けてゆきたい
と、語っていたオノさん。
オノさんは、今でも心の中で生き続けているジョンさんと共に歩み続けているようです。
「オノ・ヨーコの家系図は?先祖(曽祖父)は安田財閥の創始者の安田善次郎!」