70代の現在も、バラエティ番組などで元気な姿を見せている、せんだみつおさんですが、実は、2017年、2018年、2021年と、3度も「不整脈」で緊急搬送されていたといいます。
「せんだみつおの妻は?息子はせんだ雄太!娘はせんだるか!」からの続き
急に動悸がして左腕に氷が入っているような冷たさを感じる
せんださんによると、2021年11月21日深夜0時半頃、(いつも深夜1時~2時頃に寝るため)寝る前にリラックスしてテレビで映画を見ていたそうですが、急に動悸がして、左腕がまるで中に氷が入っているかのように、冷たくなった感じがしたそうです。
そして、やがては、その冷たさがだんだん上の方まで上がり、肩まで来て、それから、胸の方に広がっていったそうで、最終的には、400メートルを全速力で走った時のように、ハアハアと呼吸が苦しくなり、胸の真ん中あたりが、バクバクと鳴ったのだそうです。
死の恐怖を感じて救急車を呼ぶ
そんなせんださんは、死の恐怖を感じて怖くなり、すぐに救急車を呼ぶと、酸素吸入器をつけてもらい、大学病院に搬送されたそうですが、通常50~100が正常値とされている脈拍が、192もあったそうです。
(脈拍が100を超えると何らかの異常がある場合が多いそうです)
ただ、搬送先の大学病院で、ER(緊急救命室)で点滴をしてもらうと、そのうち、心臓のバクバクした感じは治まって来たのだそうです。
それでも、医師からは、
このまま入院して、明日、精密検査を受けましょう
と、言われたそうですが、
翌日にイベントの仕事が入っていたことから、「入院拒否承諾書」という書類にサインして、午前3時頃に、一旦、帰宅したのだそうです。
一過性の「不整脈」と判明
ただ、よく考えてみると、仕事現場で倒れた場合、周囲に迷惑をかけてしまうと思ったそうで、(この時は無症状だったそうですが)仕事をキャンセルして、検査を受けようと思い直し、あくる日、もう一度病院に行き、精密検査をしてもらったそうです。
すると、検査の結果は「異常なし」だったそうで、さらに、後日、ホルター心電図(24時間ずっと心電図を記録できる検査)で検査しても異常は見当たらなかったことから、最終的には、一過性の「不整脈」だったことが判明したのだそうです。
「不整脈」での救急搬送は3回目だった
ただ、せんださんは、「不整脈」で救急車で搬送されたのは、これが3回目だったそうで、
(1回目は2017年8月20日、2回目は2018年11月8日だったそうです)
2回目の後、所属事務所「生島企画室」の最高経営責任者・生島ヒロシさんの紹介で、2019年3月に、順天堂医院の先生に診てもらったところ、
(生島さんは、「芸能界の医学博士」と呼ばれているそうです)
医師から、
6年ぐらいたったら心臓が弱るかな
と、言われ、自分なりには気をつけていたそうですが、
せんださんは、
「2020年コロナ禍仕事皆無ストレス症候群」だと言っているんですけど(笑)
それくらい去年(2020年)は大変でした。テレビやラジオのレギュラーを持っている芸人はいいですけど、僕のような司会や講演で食べてる芸人は全滅でしたから。
心臓に症状が出たのは、寒さもあったと思いますけど、ストレスが良くなかったんだと思います。仕事がなくてずっと家にいると、おかしくなりますよ。
と、ストレスが原因ではないかと語っています。
現在はのんびりと気持ちに余裕を持つように心がけている
ちなみに、せんださんは、それまでは、(せっかちな性格だったため)電車の扉が閉まりそうな時は、走って飛び乗ろうとするほか、分刻みで仕事をするぐらい忙しくしていることが好きだったそうですが、
医師から、日常生活での注意として、「急がないこと」が一番大事だと言われたことから、
(電車の扉が閉まりそうな時は走って飛び乗ろうとせず、その電車をやり過ごして次の電車を待つ等)現在は、生き方自体を変え、のんびりと、気持ちに余裕を持つように心がけているほか、
心臓には寒暖の差が良くないため、寒い時期にゴルフをしない、家の中ではお風呂とトイレに気をつける、外出時は、息子のせんだ雄太さんが心配して買ってくれたジャケットを着て暖かくするなどを、心がけているとのことでした。
さて、いかがでしたでしょうか。
せんだみつおさんの、
- 年齢は?出身は?身長は?
- 本名は?芸名の由来は?
- 父親がソ連に抑留中に子作りした子供だった
- 生まれたばかりの頃は病弱だった
- 児童劇団「劇団 杉の子」にスカウトされ舞台「人形の家」で子役デビュー
- 子供心にも俳優の序列があることを理解していた
- 中学入学後は劇団を辞め普通の学校生活を送っていた
- 中学時代は「脱線トリオ」の由利徹のネタに腹を抱えて笑っていた
- 高校時代は堺正章と井上順のやり取りに夢中になっていた
- 菅原進(ビリー・バンバン)との出会いは共通の友人
- 高校時代は菅原進とよくナンパに出かけていた
- 一貫校の法政大学を不合格になっていた
- 一貫校だった法政大学が試験で4割は進学出来なくなっていた
- 駒沢大学に合格
- 駒沢大学を2年で中退
- 「ビリー・バンバン」にコンガ担当で加入
- 「ビリー・バンバン」をクビになりコックになろうと服部栄養学園に通う
- 「ビリー・バンバン」のメジャーデビュー曲「白いブランコ」が大ヒット
- 「フランキー堺とゴールデンボールズ」の巡業で楽器運びをしていた
- 憧れのフランキー堺のもとで働けたことが嬉しくて仕方なかった
- ラジオ番組「東芝ワイドワイドサンデー」のレポーターに起用される
- 「東芝ワイドワイドサンデー」ではレポートがうまくできなかった
- 「ワゴンでデート」のメイン司会者に和田アキ子と共に抜擢される
- 「ワゴンでデート」には無名時代の井上陽水もゲスト出演していた
- 鈴木ヒロミツのプロデュースで「ダメな男のロック」で歌手デビュー
- 「ダメな男のロック」は鳴かず飛ばずも充実した日々を過ごしていた
- 黒澤久雄とは「クロパン」と呼ぶほど親しかった
- 憧れのラジオ番組「ハローパーティー」のレギュラーに起用される
- 尊敬していた林家三平が「ハローパーティー」にゲスト出演してくれた
- 林家三平の心遣いに感動していた
- 林家三平とはずっと交流が続いていた
- 情報バラエティ番組「ぎんざNOW!」の司会で大ブレイク
- テレビの人気が低迷していた
- テレビを深夜ラジオのようにする動きが始まっていた
- 「ぎんざNOW!」の作家の奥山伸から言われオーディションを受けていた
- 竹中直人に対し上から目線で激励していた
- 矢沢永吉にクレームをつけたことがあった
- 宇崎竜童からの依頼を断っていた
- 「金曜10時!うわさのチャンネル!!」の司会に抜擢される
- 山本リンダの新曲発表会の司会を見た日本テレビのプロデューサーにスカウトされていた
- 「金曜10時!うわさのチャンネル!!」は視聴率30%の大ヒット
- 千昌夫のセリフを言ってしまう
- 千昌夫と大ケンカになっていた
- 2時間ほど説教されていた
- 入院した際には千昌夫が見舞いに来てくれていた
- 「ナハナハ」の生みの親は湯原昌幸だったウルトラマンは飛び立つ時に本当に「ナハ」と言っていた
- 「Chu-z(チューズ)」のミュージックビデオで「ナハナハダンス」を披露
- バラエティ番組「スター爆笑座」でビートたけしと出会う
- 「ツービート」の面白さに衝撃を受けていた
- 「スター爆笑座」ではビートたけしと「ナハ、ナハ」「コマネチ、アンドレアヌフ」等のネタを連発していた
- 「知らない同志」で俳優デビュー
- NHKドラマ「北上山系」に出演
- 「せんだみつおの黄金期」を謳歌していた
- 過労で倒れ4ヶ月間入院していた
- 入院中はノイローゼになっていた
- 田宮二郎自殺のニュースがノイローゼに拍車をかけていた
- テレビドラマ「知らない同志」では田宮二郎から親切にしてもらっていた
- 退院するもレギュラーを全て失っていた
- 日取りの仕事で食いつなぐ日々だった
- 自殺すると勘違いされて見知らぬ人に「早まるな」と腕をつかまれたことも
- 小堺一機の結婚式のスピーチで「笑っていいとも」にレギュラー出演することができた
- 山城新伍にクイズ番組「アイ・アイゲーム」のレギュラーに起用してもらう
- 山城新伍は「アイ・アイゲーム」で一番最初に紹介してくれた
- 山城新伍は様々なネタを考えてくれた
- 自宅が空き巣被害に遭う
- 被害額は40万円(貴金属20数点)
- タモリとビートたけしがネタにしてくれた(被害額は芸能人歴代最下位?)
- テレビドラマを中心に俳優として活躍
- 「テレビドラマ「熱帯夜」では松田優作と桃井かおりによく怒られていた」
- 「熱帯夜」ではラスト部分の出演シーンが取り消されていた
- 萬屋錦之介にはとてもかわいがられていた
- 吉永小百合主演のNHKドラマ「夢千代日記」出演は「熱帯夜」のご褒美だった
- 長嶋茂雄との出会いはファイティング原田のパーティーだった
- 長嶋茂雄に初対面でゴルフに誘われていた
- 長嶋茂雄から本当にゴルフのお誘いの電話がかかってきた
- 長嶋茂雄と交流を深めていた
- 長嶋茂雄が巨人の監督になっても交流は続いていた
- NHK大河ドラマ「花の乱」の脚本家・市川森一に長嶋茂雄に会いたいと頼まれる
- 長嶋茂雄の一言で「花の乱」最終回に出演することができた
- 長嶋茂雄の面白エピソード
- 映画「こちら葛飾区亀有前派出所」で主人公・両津勘吉役を演じていた
- 原作者・秋本治が映画の出来に激怒していた
- 「こちら葛飾区亀有前派出所」は豪華キャストだった
- 出演作品(TVバラエティ等)
- 出演作品(映画)
- 出演作品(テレビドラマ)
- 「せんだみつおゲーム」がアコムの自動契約機「むじんくん」のCMで有名に「せんだみつおゲーム」のルール
- 派生した「武田鉄矢ゲーム」「桂三枝ゲーム」なるものも生まれていた
- 「当て逃げ」で逮捕されていた
- 酒気帯びで睡魔に襲われながら運転していた
- 追い越した車がハザードを点けたまま追いかけてきた
- 車にぶつかった記憶がまったくなかった
- 丸の内警察署に連れて行かれ取り調べを受ける
- 逃げたつもりは全くなかった
- 久松警察署の留置所に送られる
- 留置所でも人気者だった
- 6日間の勾留の末、無事自宅に戻ることができた
- 妻とは学生時代に知り合っていた
- 息子(長男)は俳優でタレントのせんだ雄太
- 娘(長女)はタレントでパチンコライターのせんだるか
- テレビドラマ「警視庁捜査一課9係」では親子3人初共演
- 急に動悸がして左腕に氷が入っているような冷たさを感じる
- 死の恐怖を感じて救急車を呼ぶ
- 一過性の「不整脈」と判明
- 「不整脈」での救急搬送は3回目だった
- 現在はのんびりと気持ちに余裕を持つように心がけている
について、まとめてみました。
「あそこでこうしていれば」とか「ああしていれば」とかって言う人いるけど、たぶん「ああ」も「こう」もできないんですよ。 それが人生なんだから。
失敗したら解決して、また失敗したら解決してって、そういうのひっくるめて人生なのね。失敗したり、成功したりして死ぬまで繰り返してるのが人生だから、失敗して「もうこれまで」なんてことはないんですよ。
人間ってどうにかするんですよ。そしてどうにかなるんですね。私もどうにかなってきたんだもん。
そのうち黄金期にやっていたドラマの経験と人脈が功を奏し、新しいドラマなどの仕事がいただけるようになりました。
決して安定した生活ではありませんでしたが、それを逆手にとって不安定な自分の生活をネタにしたり、新しい人脈をせっせと開拓して、今までなんとかやってくることができました。
と、語っていたせんださんですが、
いつも明るく、人の懐にスッと入っていけるせんださんだからこそ、周りの人が手助けしたいと思うのかもしれません。
これからも、まだまだ、元気に「ナハナハ」を見せてほしいものです。