22年間のプロ野球現役生活で、868本塁打の世界記録を樹立するほか、現役引退後は、巨人(読売ジャイアンツ)、ダイエー&ソフトバンクで指揮を執り、2006年には、「第1回WBC」で、日本代表を率いて世界一に輝くなど、監督としても数々の輝かしい成績を残した、王貞治(おう さだはる)さん。

今回は、そんな王貞治さんの若い頃(監督時代)から現在までの活躍や経歴を時系列でまとめてみました。

王貞治

「【画像】王貞治の若い頃が凄い!高校からプロ野球現役時代までの経歴を時系列まとめ!」からの続き

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王貞治の40代の頃

43歳の時に巨人(読売ジャイアンツ)の監督に就任

王貞治さんは、1983年11月8日、43歳の時、巨人(読売ジャイアンツ)の監督に就任するのですが、1年目(1984年)と2年目(1985年)は共に3位に終わってしまうと、


1985年秋のドラフト会議では、大学に進学すると言っていた桑田真澄さんを強引にドラフト1位指名で獲得して大バッシングされるほか、


先発投手を桑田真澄投手と江川卓投手を主軸に、リリーフで、鹿取義隆投手、角三男(現・角盈男)投手、ルイス・サンチェ投手を投入して逃げ切るという戦略が、「ワン(王)パターン」と非難されてしまいます。

巨人の監督に就任する王貞治
巨人(読売ジャイアンツ)の監督に就任する王貞治さん(右端)。

47歳(巨人監督4年目)の時、監督として初のリーグ優勝

それでも、監督就任4年目の1987年には、ついに、自身初のリーグ優勝を果たします。

巨人の監督時代の王貞治
1987年、巨人の監督時代の王貞治さん。

48歳(巨人監督5年目)の時に監督を解任されていた

ただ、翌年の1988年には、試合中、看板打者として活躍していた吉村禎章選手が栄村忠広選手と激突して大ケガを負い、長期離脱となるほか、

江川卓投手の引退や、吉村禎章選手、クロマティ選手、山倉和博選手など中心選手の故障が相次ぎ、優勝を逃したことから、巨人の監督を解任されてしまったのでした。

王貞治の50代の頃

54歳の時に福岡ダイエーホークス(現・ソフトバンク)の監督に就任

その後、王貞治さんは、1993年には、福岡ダイエーホークス(現・ソフトバンク)の監督に就任したばかりの根本陸夫さんに、自身の後任を打診されると、当初は、巨人への思いが断ち切れず、固辞するも、1994年、54歳の時には、ダイエー監督のオファーを引き受けます。


ダイエーホークス監督に就任した王貞治
1994年、福岡ダイエーホークス監督就任発表より。(左から)根本陸夫さん、王貞治さん、中内功オーナー、中内正オーナー代行。

58歳(ダイエー監督4年目)の時にはダイエーをオリックスと並ぶ同率3位に浮上させていた

ただ、監督就任1年目の1995年は5位に終わると、

2年目の1996年は最下位に低迷してしまいます。

それでも、3年目の1997年には、王貞治さんと前後して入団していた、小久保裕紀選手、井口忠仁(資仁)選手、松中信彦選手ら、主力選手が活躍するようになると、63勝71敗1分で4位、

4年目の1998年には、67勝67敗1分でオリックスと並んで同率3位と、徐々に浮上していきます。

(21年ぶりにAクラス)

59歳(ダイエー監督5年目)の時にダイエーを初の日本一に導いていた

そして、ダイエーホークス監督就任5年目の1999年、王貞治さんは、ついに、ダイエーホークスを優勝に導くと、日本シリーズでも中日を制し、念願の日本一を果たしたのでした。


福岡ダイエーホークスで初優勝した王貞治
1999年、王貞治監督(左)と中内功オーナー(右)。


王貞治の60代の頃

60歳の時にはダイエー監督として日本シリーズで長嶋茂雄率いる巨人と対戦していた

そんな王貞治さんは、ダイエーホークス監督就任6年目の2000年にもリーグ優勝を果たすと、日本シリーズでは、長嶋茂雄監督率いる巨人との対戦となり、夢のON対決が実現しているのですが、巨人に敗退し、日本一は逃しています。


2000年の日本シリーズ
2000年の日本シリーズを前に握手する王貞治さん(左)と長嶋茂雄さん(右)。

63歳(9年目)の時に2回目となる日本一に輝いていた

また、王貞治さんは、2001年と2002年はリーグ優勝を逃すも、2003年にはリーグ優勝を果たすと、日本シリーズでも星野仙一監督率いる阪神タイガースを下して、2回目となる日本一に輝いています。

2003年日本シリーズで優勝
2003年、日本一に輝き、胴上げされる王貞治さん。

ただ、2004年から、5戦のうち3勝した方がリーグ優勝というプレーオフ制度が始まると、2004年、2005年ともに2位に4.5ゲーム差をつける首位でペナントレースを終えるも、2年連続で2位のチームに2勝3敗で負け、リーグ優勝を逃しています。

65歳の時には「第1回WBC」日本代表チーム監督にも就任していた

そんな中、2005年1月、ソフトバンクがダイエーからホークスを買い取ると、ダイエーホークスの監督だった王貞治さんは、引き続き、ソフトバンクホークスの監督(兼ソフトバンク取締役副社長兼GM)を務めているのですが、

第1回WBC日本代表チーム監督を要請されると、当初は固辞するも、ソフトバンクのオーナー・孫正義氏の、

野球も世界一を競ってこそでしょう

の言葉を聞き、

2005年10月10日には、「第1回 ワールド・ベースボール・クラシック」(WBC)日本代表チーム監督にも就任しています。

66歳の時には「第1回WBC」で2次リーグ初戦アメリカ戦では判定を覆されサヨナラ負けを喫していた

すると、2006年、王貞治さん率いる日本代表チームは、東京ドームで行われた1次リーグを通過するのですが、2次リーグでは、初戦B組2位のアメリカ戦で、球審に勝ち越し点を取り消され、その後、サヨナラ負けを喫してしまいます。

「第1回WBC」で誤審を講義する王貞治
デービッドソン球審の誤審を抗議する王貞治さん。

66歳の時に「第1回WBC」で日本を優勝に導びいていた

その後、日本代表チームは、韓国にも再び敗れて、2次リーグで1勝2敗となり、2次リーグ通過の見込こみがほぼなくなるのですが、

そんな絶望的な状況の中、メキシコがアメリカを僅差で破ったことで、奇跡的に準決勝進出を果たすと、

準決勝では韓国を圧倒、決勝のキューバ戦も圧勝し、見事、世界一に輝いたのでした。

「第1回WBC」で優勝する王貞治
「第1回WBC」で日本を優勝に導いた王貞治さん。

66歳の時に胃ガンが判明し胃の全摘出手術を受けていた

そんな王貞治さんは、「第1回WBC」で世界一に輝いた2006年も、引き続き、ソフトバンクの監督を務めているのですが、シーズン中、検診で胃ガンが見つかり、胃の全摘出術を受けています。

68歳の時にソフトバンク監督を退任し球団取締役最高顧問に就任

その後、経過は順調だったのですが、王貞治さんは、2008年9月23日には、ソフトバンクの監督退任を表明すると、同年10月8日には、ソフトバンク球団取締役最高顧問(現在は「球団取締役会長」に役職変更)に就任。

また、2009年の「第2回WBC」日本代表では監督相談役を務めています。

王貞治の70代の頃

75歳の時に台湾で殿堂入り

そんな王貞治さんは、2015年、75歳の時には、台湾で殿堂入りを果たしています。

王貞治さんの殿堂入りは、スポーツ記者や球界関係者の50人の投票で41票、82%の支持を得て決まったのですが、王貞治さんの様々な功績は、台湾でも「国民的英雄」として認められたのでした。

(王貞治さんは、日本では、1994年に殿堂入りを果たしています)

台湾で殿堂入り
台湾で殿堂入りを果たした王貞治さん。

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王貞治の80代(現在)

81歳でソフトバンクの「特別チームアドバイザー」に就任

また、王貞治さんは、2021年10月29日には、ソフトバンクの「特別チームアドバイザー」に就任することが発表されているのですが、

(肩書は「取締役会長兼特別チームアドバイザー」)

王貞治さんは、

監督・コーチとの接触を含め、選手たちにも今まで以上に気がついたことを色々と声をかけていきたい

一番大事なのは試合でどうするか

と、結果が伴わないとプロとしては評価されないことを指摘し、

全ての選手が試合でどうするかをもう少し考える必要があると感じている。それを選手たちに伝えていきたい

と、意気込みを語っています。

「特別チームアドバイザー」に就任する王貞治
ソフトバンクの「特別チームアドバイザー」に就任し、意欲を語る王貞治さん。

お読みいただきありがとうございました

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