1953年、「花の講道館」で映画デビューすると、以降、数多くの映画でヒロインを務めて「大映」の看板女優として活躍し、1963年、「大映」退社後、フリーとなってからは、舞台を中心に活動した、山本富士子(やまもと ふじこ)さん。
今回は、そんな山本富士子さんの若い頃から現在までの活躍や経歴を時系列でまとめてみました。
山本富士子の10代の頃は「第1回ミス日本」で「ミス日本」に輝いていた
山本富士子さんは、1950年、18歳の時に、「第1回ミス日本」で、応募者約700人の中から「ミス日本京都代表」に選ばれると、その後、東京での本選では、満場一致で「ミス日本」に輝いたそうです。
1953年、「大映」に入社し、同年「花の講道館」で映画デビューすると、以降、「大映」の看板女優として活躍し、1963年、フリーとなってからは、舞台を中心に活動を続けている、山本富士子(やまもと ふじこ)さん。今回は、そん …
山本富士子の20代の頃は「大映」に入社し「花の講道館」で女優デビュー
21歳の時に「大映」に入社
そんな山本富士子さんは、翌年の1951年6月、19歳の時には、アメリカへ親善使節として渡米し、54日後に帰国すると、映画会社各社からスカウトが殺到したそうで、
当初は、女優になろうとは思っておらず、悩んでいたところ、お姉さんに背中を押される形で女優になる決心をし、1953年、21歳の時に「大映」に入社したそうです。
21歳の時に映画「花の講道館」で女優デビューするも人気はパッとしなかった
こうして、大映に入社した山本富士子さんは、同年(1953年)、21歳の時には、映画「花の講道館」で、長谷川一夫さんの相手役で女優デビューすると、以降、立て続けに映画でヒロインとして出演するのですが・・・
人気はパッとしませんでした。
「花の講道館」より。山本富士子さんと長谷川一夫さん。
高校時代には、クラスメイトから「胸の痛くなるような美人」と称されるほか、美人過ぎるという理由から日本銀行の就職試験に不合格になっていたという、山本富士子(やまもと ふじこ)さんは、1950年には、「第1回ミス日本」で「ミ …
23歳の時に映画「湯島の白梅」でブレイク
しかし、1955年、23歳の時、映画「湯島の白梅」でヒロインに起用され、若手二枚目俳優だった鶴田浩二さんを相手に、運命に翻弄されるヒロインを熱演すると、映画は大ヒットを記録。
これにより、山本富士子さんも、一躍、ブレイクを果たしたのでした。
「湯島の白梅」より。
24歳の時に映画「夜の河」で一躍トップスターの仲間入りを果たす
そんな山本富士子さんは、1956年、24歳の時にも、映画「新・平家物語/義仲をめぐる三人の女」で、3人のヒロインのうちの一人に起用されると、続く、映画「夜の河」でも、ヒロインを務めて、映画は大ヒットを記録し、一躍、トップスターの座に駆け上ったのでした。
「夜の河」より。
1950年、「第1回ミス日本」で「ミス日本」に輝くと、映画会社各社からスカウトが殺到し、「大映」に入社するも、その後、しばらくは、なかなか人気が出なかったという、山本富士子(やまもと ふじこ)さんですが、1955年、映画 …
26歳の時に小津安二郎監督作品「彼岸花」で佐々木幸子役
こうして、一躍、トップスターの仲間入りを果たした山本富士子さんは、その後も、数々の映画でヒロインを務め、京マチ子さんとともに、「大映」の看板女優として活躍すると、
1958年、26歳の時には、小津安二郎監督作品「彼岸花」で、友人の結婚のために一肌脱ぐ、美しいながらも、お茶目でしたたかな面がある、佐々木幸子役を演じているのですが、これまでとは違ったコミカルな演技を披露し、新境地を開拓しています。
「彼岸花」より。
1956年、吉村公三郎監督作品「夜の河」で、自立した京都の女性を清々しく演じて、スターに駆け上がると、以降、「大映」の看板女優として活躍した、山本富士子(やまもと ふじこ)さんですが、1958年には、「松竹」の小津安二郎 …
1958年には、小津安二郎監督作品「彼岸花」でコミカルな役を演じ、新境地を開拓した、山本富士子(やまもと ふじこ)さんですが、この作品では、小津監督から、余計な動きをしないことや自然体で演じることを学んだといいます。 「 …
「大映」の看板女優でありながら、一度だけ、「松竹」の小津安二郎監督作品に出演したという、山本富士子(やまもと ふじこ)さんですが、その作品(「彼岸花」)の撮影で過ごした小津監督との時間は、忘れられない思い出となっているそ …
山本富士子が30代の頃は「大映」と決裂し「フリー宣言」していた
31歳の時フリー宣言をし、映画、舞台、テレビ業界から干されていた
そんな山本富士子さんは、その後も、美貌と演技力を兼ね備えた「大映」の看板女優として活躍するのですが・・・
1963年、31歳の時、フリー宣言をすると、映画界のみならず、舞台、テレビ業界からも完全に締め出されてしまったのでした。
1958年、小津安二郎監督作品「彼岸花」に出演したことで、女優として大きく飛躍した、山本富士子(やまもと ふじこ)さんは、その後も、美貌と演技力を兼ね備えた「大映」の看板女優として活躍するのですが、1963年にフリー宣言 …
もともと「3年経って一人前になったら自由契約」だった約束が、「五社協定」が出来たことで、うやむやになって、「年間2本の他社出演を認める」に変えられるも、この約束さえ果たされず、毎年1本しか出演させてもらえず、不満を抱えて …
「大映」との10年契約更新の事前交渉で、果たされていなかった「年間2本の他社出演を認める」という約束の実行を強く迫るも、機嫌を損ねた永田雅一社長から、今度は「他社出演を一切認めない」旨の強い条件で迫られ、「大映」と決裂し …
31歳の時にテレビドラマ「明治の女」で女優復帰
この状況に、山本富士子さんは、一時は、女優業を引退することも考えたそうですが、1963年、31歳の時、テレビドラマ「明治の女」で女優復帰を果たすと、いきなり、高視聴率を叩き出します。
1963年2月、「大映」からフリー宣言をすると、記者会見では円満退社を強調するも、実際には、「大映」の永田雅一社長により、映画界・演劇界から完全に干されてしまったという、山本富士子(やまもと ふじこ)さんですが、その後、 …
山本富士子の30代(テレビ出演後)~90代(現在)
33歳~82歳まで舞台を中心に活動
そんな山本富士子さんは、1964年4月、33歳の時には、新歌舞伎座公演で松本幸四郎(現・二代目松本白鸚)さんと共演するなど、舞台活動も再開すると、以降、2013年、82歳の時まで舞台を中心に活動しています。
85歳、87歳の時にトーク番組「徹子の部屋」に出演
ちなみに、山本富士子さんは、2017年、85歳の時には、トーク番組「徹子の部屋」に出演しているのですが、その際、前年の2016年に、56年間住み慣れた一軒家からマンションに引っ越ししたことを明かしています。
(2019年、87歳の時にも、「徹子の部屋」に出演しています)
「徹子の部屋」より。
91歳の時に「パーキンソン病専門住宅」のテレビCMに出演
また、山本富士子さんは、2023年、91歳の時には、スーパー・コートの「パーキンソン病専門住宅」のテレビCMに出演しています。
「パーキンソン病専門住宅」のテレビCMより。
1953年、映画「花の講道館」でデビューすると、以降、数々の、映画、テレビドラマ、舞台に出演し、60年以上も芸能界で活躍を続けている、山本富士子(やまもと ふじこ)さん。今回は、そんな山本さんの出演作品(映画、テレビドラ …