岡田茉莉子の夫は吉田喜重!子供は?秋津温泉?現在は?

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1951年、第3期「東宝ニューフェイス」として「東宝演技研究所」に入所すると、たった20日で映画「舞姫」に準主役として抜擢され、その後は、トントン拍子にキャリアを積んでこられた、岡田茉莉子(おかだ まりこ)さんですが・・・

「岡田茉莉子の若い頃は?年齢は?本名は?父親は?谷崎潤一郎?」からの続き

「東宝」から「松竹」へ移籍

以降、岡田さんは、父親譲りの美貌と演技力で、
東宝映画のスター女優として順調に活動を続けていたのですが、

1954年「宮本武蔵」では、
武蔵の相手役であるヒロインは八千草薫さんに、


「宮本武蔵」より。
(左から)岡田さん、三船敏郎さん、八千草薫さん。

1955年「浮雲」では、主演は高峰秀子さんと、


「浮雲」より。(左から)岡田さん、
加東大介さん、高峰秀子さん、森雅之さん。

岡田さんは、いずれもメインキャストとはいえ、
主人公でもヒロインでもなくなってしまいます。

それで、このことに不満をつのらせた岡田さんは、
1955年1月には、契約が切れたことをきっかけに、
退社をほのめかすのですが、

「東宝」には強く引き止められ、その後も、

1955年「男ありて」
     「渡り鳥いつ帰る」
     「ひとり寝る夜の小夏」
     「旅路」
     「あすなろ物語」
     「一乗寺の決闘」

1956年「決闘巌流島」


「男ありて」より。
(左から)志村喬さん、夏川静江さん、岡田さん。


「ひとり寝る夜の小夏」より。志村喬さんと岡田さん。


「旅路」より。池部良さんと岡田さん。


「あすなろ物語」より。岡田さんと山内賢さん。


「決闘巌流島」より。鶴田浩二さんと岡田さん。

と、「東宝」作品に出演。

ただ、やはり、どれも、
岡田さんの気に入らない役ばかりだったそうで、

ついに、岡田さんは、1956年11月に「東宝」と契約が切れると、
今度は、再契約を保留にしたまま、1957年、初めての他社作品である、
「松竹京都」「顔」松本清張原作の推理サスペンス)に出演(主演)され、
同年3月には、「東宝」を退社。


「顔」より。大木実さんと岡田さん。

その後はフリーとなられるのですが、

1957年「集金旅行」
1958年「日日の背信」
     「花のうず潮」
     「モダン道中・その恋待ったなし」


「集金旅行」より。岡田さんと佐田啓二さん。


「モダン道中・その恋待ったなし」より。
岡田さんと佐田啓二さん。

など、「松竹」の映画で佐田啓二さんとの共演が続くと、
岡田さんは、すっかり撮影所の家庭的な雰囲気が気に入られ、
同年9月には、「松竹」と専属契約。

以降、「松竹」の数々のメロドラマで主演を務められ、
先に「東宝」から移籍していた有馬稲子さんとともに、
「松竹」の看板スターとして活躍されたのでした。

主演・プロデュース作品「秋津温泉」が大ヒット

そして、1962年には、「松竹」から、デビュー100本記念作品として、
自分の企画で主演する作品を作るよう勧められたそうで、

岡田さんは、女優になって間もない頃に読み、いつか映画化したいと思っていた、
藤原審爾さんの小説「秋津温泉」をその作品に決められると、
映画監督には、吉田喜重(よしだ よししげ)さんを起用。

実は、岡田さんは、その2年前に、吉田さんのデビュー作「ろくでなし」
の出演依頼を受け、シナリオを読まれると、

私の知らない映画がある。すごい新人が出た。

と驚き、そのシナリオに魅せられて出演を快諾されているのですが、
どうしてもスケジュールが合わず、最終的には断念しており、

その後、出来上がった映画を観ると、
やはり、当時の日本映画とは異なる斬新な表現に、
吉田さんの才能を確信されていたことから、

いつか彼の作品に出演したい

と、思い続けていたそうで、

実際、映画「秋津温泉」が公開されると大ヒットを記録。


「秋津温泉」より。岡田さんと長門裕之さん。

岡田さんも、同年、この作品で、
「第17回毎日映画コンクール女優主演賞」を受賞されたのでした。

(「秋津温泉」とは、戦後、時代から取り残された秋津荘を舞台に、
 生きる希望を失い、死に場所を求めてふらりと秋津温泉に来た男と、
 一途なまでに男を思い続け、裏切られる女を描いた作品。)

夫は映画監督の吉田喜重!子供は?

そんな岡田さんは、この映画の達成感からか、
この映画で女優を引退しようと考えていたそうですが、

吉田さんから、

あなたは、青春を映画に全て捧げて、
もったいないと思いませんか。

と、引退を引き止められると、

1963年には、その吉田さんと結婚。


吉田喜重さんと岡田さん♪

翌年の1964年には、旧西ドイツのバイエルン州で挙式し、
約40日間にわたる新婚旅行では、ヨーロッパ各国を巡られています♪

(2018年現在、お子さんはいらっしゃいません。)

「現代映画社」を設立~現在は?

こうして、岡田さんは、

吉田と結婚したから、
女優を一生続けようと思いました。

と、引退を思いとどまると

1965年には、「松竹」を離れてフリーとなり、
1966年には、吉田さんと独立プロダクション「現代映画社」を設立。

以降は、

1967年「情炎」
     「炎と女」

1968年「樹氷のよろめき」
     「さらば夏の光」


「樹氷のよろめき」より。蜷川幸雄さんと岡田さん。


「さらば夏の光」より。

1970年「エロス+虐殺」
     「煉獄エロイカ」

1971年「告白的女優論」
2002年「鏡の女たち」


「告白的女優論」より。岡田さん(手前)と太地喜和子さん。


「鏡の女たち」より。
(左から)田中好子さん、岡田さん、一色紗英さん。

ほか、吉田さんの作品で主演を務められるほか、

1973年「戒厳令」では、女優としてではなく、
プロデューサーとしても吉田作品に貢献。

近年は、映画、テレビドラマ、舞台のほか、
バラエティ番組にも出演されるなど、幅広く活動されています。

さて、いかがでしたでしょうか。

2015年には、「サンディエゴ・アジアン映画祭」で、
吉田さんの作品が2本上演されるにあたり、

彼の映画の魅力については、私が説明するより、
私が出演した映画を含めて吉田の全作品18本を見ていただきたいと思います。

それは深い奥行きがあって、
簡単に私がお話しできるものではないからです。

と、結婚から50年が経過した今でも、
ご主人の才能をリスペクトされている岡田さん。

ぜひ、この機会に、
息の合ったお二人の作品をご覧になってはいかがでしょう♪

「岡田茉莉子の若い頃は?年齢は?本名は?父親は?谷崎潤一郎?」

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