東芝府中を経て、1979年、ドラフト3位でロッテに入団すると、以降、史上初の3度の三冠王を含む、首位打者5回、本塁打王5回、打点王5回、最高出塁率7回、ベストナイン10回、MVP6回と凄まじい成績を残し、”天才バッター”と称された、落合博満(おちあい ひろみつ)さん。

今回は、そんな落合博満さんの若い頃(プロ入り1年目から現役引退まで)の活躍や経歴を時系列でご紹介します。

落合博満

「落合博満の生い立ちは?高1で右肩と腰を痛め投手から外野手に転向していた!」からの続き

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落合博満は24歳の時にドラフト3位でロッテオリオンズに入団

落合博満さんは、1978年のドラフト会議で、ロッテオリオンズから3位指名を受け、ロッテオリオンズに入団しました。

落合博満は25歳の時(ロッテオリオンズ入団1年目)山内一弘監督にバッティング指導を受けるも、これを拒否し一人で試行錯誤を繰り返していた

ただ、1979年、ロッテオリオンズ入団直後は、極端なアッパースイングだったことから、全く前にボールが飛ばず、

前監督の金田正一さんには、プロでは通用しないと批判されるほか、山内一弘監督には、バッティング指導を受けたそうですが、

どうしても山内一弘監督のバッティング理論がしっくりこず、山内一弘監督の指導を拒否し、一人で試行錯誤を繰り返したといいます。

落合博満は25歳の時(ロッテオリオンズ入団1年目)二軍で抜群の成績を残すも一軍ではいまいちだった

そんな落合博満さんは、入団1年目の1979年は、二軍では、打率3割2分4厘(203打数66安打)、8本塁打、40打点と、抜群の成績を残すのですが、

一軍では、打率2割3分4厘、2本塁打と、いまいちでした。

落合博満は27歳(ロッテオリオンズ入団3年目)で首位打者を獲得していた

それでも、入団2年目の1980年には、一軍でも、打率2割8分3厘、15本塁打という成績を残すと、3年目の1981年には、早くも、首位打者を獲得します。

落合博満は28歳~32歳(ロッテオリオンズ入団4年目~8年目)の時にはNPB史上唯一の三冠王に3回も輝いていた

すると、以降、落合博満さんは、

  • 入団4年目の1982年(28歳)には、戦後最年少の三冠王
  • 入団5年目の1983年(29歳)には、3年連続となる首位打者
  • 入団7年目の1985年(31歳)には、王貞治選手に次ぐNPB史上2人目の2度目の三冠王
  • 入団8年目の1986年(32歳)には、NPB史上唯一の3度目の三冠王

と、驚異的な成績を残したのでした。

落合博満

落合博満は33歳(ロッテオリオンズ入団9年目)の時に4対1で中日ドラゴンズへトレード

こうして、素晴らしい成績を残していた落合博満さんですが・・・

1986年シーズン終了後、慕っていた稲尾和久監督が解任されたことで、ロッテ球団に反発して球団批判を繰り返すと、

このことが騒動へと発展し、松井静郎球団社長との話し合いが持たれるも、同年12月23日、4対1で中日へのトレードとなります。

落合博満は中日ドラゴンズ移籍後も活躍するも三冠王には届かなかった

そんな落合博満さんは、中日移籍後も、

  • 移籍1年目の1987年は、打率3割3分1厘(リーグ3位)、28本塁打、85打点(無冠)
  • 移籍2年目の1988年も、4番打者として活躍し、リーグ優勝に貢献(無冠)
  • 移籍3年目の1989年には、打点王
  • 移籍4年目の1990年には、打点王と本塁打王の2冠王
  • 移籍5年目の1991年には、2年連続本塁打王

と、素晴らしい成績を残したのですが、

中日在籍中には、ロッテ時代に3度達成した三冠王には届かなかったのでした。

落合博満
1991年6月26日の落合博満さん。

落合博満は37歳(中日ドラゴンズ移籍5年目)の時に日本人選手として初の年俸調停を申請していた

ちなみに、落合博満さんは、1990年シーズン、打点王と本塁打王の2冠王に輝く活躍をしているのですが、この年のオフの契約更改では、なかなか話がまとまらず、

1991年2月15日には、日本人選手として初となる、年俸調停を申請しています。

落合博満は39歳(中日ドラゴンズ移籍7年目)の時にフリーエージェント(FA)権を日本人選手で初めて行使していた

さらに、落合博満さんは、移籍7年目の1993年オフには、この年導入されたばかりのフリーエージェント(FA)権を日本人選手で初めて行使し、

巨人に移籍するのではないかとの報道が加熱しました。

落合博満は40歳の時にFAで読売ジャイアンツに移籍

そして、報道の通り、落合博満さんは、1993年12月9日、40歳の時、FAで巨人に移籍しているのですが、

実は、長嶋茂雄監督が周囲の反対を押し切り、落合博満さん獲得に動いていたそうで、落合博満さんは、かねてより憧れていた長嶋茂雄監督のラブコールに応える形で巨人に移籍したのだそうです。

落合博満
1993年オフ、FAで巨人に移籍し、長嶋茂雄監督と握手する落合博満さん。

落合博満は40歳(読売ジャイアンツ移籍1年目)で巨人の4年ぶりのリーグ優勝に貢献していた

すると、落合博満さんは、見事、長嶋茂雄監督の期待に応える活躍で、巨人移籍1年目の1994年(落合博満さん40歳)、巨人の4年ぶりのリーグ優勝に貢献したのでした。

落合博満は41歳(読売ジャイアンツ移籍2年目)で通算2000本安打を達成

また、落合博満さんは、巨人移籍2年目の1995年シーズンには、41歳4ヶ月で通算2000本安打を達成するほか、オールスターにも出場すると、MVPを獲得しています。

落合博満

落合博満は42歳(読売ジャイアンツ移籍3年目)の時に巨人を解雇されていた

そして、落合博満さんは、1996年シーズンも、3割1厘、21本塁打、86打点と好成績を収めていたのですが・・・

同年オフ、突然、巨人を解雇されてしまいます。

落合博満と長嶋茂雄
1196年11月28日、引退会見に臨む落合博満さん(右)と長嶋茂雄監督(左)。

落合博満は43歳の時に日本ハムファイターズに移籍していた

そんな落合博満さんは、巨人退団後、ヤクルトスワローズと日本ハムファイターズからオファーがあったそうで、

1996年12月9日(落合博満さん43歳)、日本ハムファイターズに移籍しています。

落合博満は44歳(日本ハムファイターズ移籍1年目)の時にプロ野球史上2人目のセ・パ両リーグ1000本安打を達成

すると、落合博満さんは、日本ハム移籍1年目の1997年、44歳の時には、プロ野球史上2人目となるセ・パ両リーグ1000本安打を達成しているのですが、

出だしは好調だったものの、6月中旬から打率が下降すると、最終的には、打率2割6分2厘、3本塁打、43打点という成績に終わってしまいます。

落合博満

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落合博満は45歳の時に現役を引退していた

そして、日本ハム移籍2年目の1998年のシーズンは、後半戦は代打での起用が多くなり、出場機会が減少すると、

この年のオフ、自由契約を選び、現役続行を希望して日本ハムを退団するのですが、どこからもオファーがなく、現役引退となったのでした。

「【画像】落合博満の監督時代の成績を就任1年目から解任までまとめ!」に続く

お読みいただきありがとうございました

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