1970年、24歳の時、シングル「イメージの詩/マークⅡ」でソロデビューすると、1972年にリリースしたシングル「結婚しようよ」が大ヒットとなり、
以降、シングル「旅の宿」、アルバム「元気です。」などをヒットさせるほか、1975年には、森進一さんに提供した「襟裳岬」が100万枚を売り上げる大ヒットとなり、作曲家としての地位も確立した、吉田拓郎(よしだ たくろう)さん。
今回は、吉田拓郎さんの若い頃(プロデビュー以降)から現在までの代表曲やアルバムほか経歴を時系列でご紹介します。
「吉田拓郎のデビュー前(アマチュア時代)はバチェラーズやダウンタウンズ!」からの続き
吉田拓郎は24歳の時に「イメージの詩/マークⅡ」でソロデビュー
吉田拓郎さんは、1970年、「広島フォーク村」時代に自主制作したアルバムが縁で、インディーズ黎明期の「エレックレコード」に、アーティストではなく、契約社員として入社しているのですが、
「エレックレコード」は、吉田拓郎さんに無断で、吉田拓郎さんの自作曲「イメージの詩/マークⅡ」をシングル化し発売したそうで、
その後、吉田拓郎さんが、たまたま、広島のレコード店で「イメージの詩/マークⅡ」が売っているのを見かけ、驚いてこのシングルを買って聴いてみると、編集がむちゃくちゃだったことから、
激怒して、音源を録り直し、同年6月、録り直した「イメージの詩/マークⅡ」で、ソロデビューを果たしたのだそうです。
インディーズレーベル「エレックレコード」の専務・浅沼勇さんに見初められると、次々とソノシート(塩化ビニールなどで作られた薄手のやわらかいレコード)が売り出された、吉田拓郎(よしだ たくろう)さんですが、決して、何もかもが …
吉田拓郎は25歳の時にアルバム「人間なんて」をリリース
ちなみに、吉田拓郎さんは、自ら営業やキャンペーンを行っていたそうですが、そんな中、「広島フォーク村アルバム発売記念コンサート」を開催すると、
早稲田大学の学生だった後藤由多加さんと知り合い、以降、後藤由多加さんは、吉田拓郎さんの重要な音楽パートナーとなったそうで、
1971年10月には、後藤由多加さんとともに、アーティスト主体の音楽制作プロダクション「ユイ音楽工房」を設立すると、11月には、アルバム「人間なんて」をリリースしています。
吉田拓郎は25歳の時に「結婚しようよ」が大ヒット
そんな吉田拓郎さんは、1972年1月には、「エレックレコード」から「CBSソニー」(現・ソニー・ミュージックエンタテインメント)に移籍すると、
移籍と同時にリリースした3枚目のシングル「結婚しようよ」が大ヒット。
「結婚しようよ」
吉田拓郎さんは、たちまち、人気アーティストの仲間入りを果たしたのでした。
(このヒットで、吉田拓郎さんは、若い女性の人気を集め、“フォークのプリンス”と呼ばれました)
大学卒業後は、「エレックレコード」と契約するも、アーティスト契約ではなく、月給制の契約社員という扱いだったうえ、ソロデビュー曲「イメージの詩」が、発売前に滅茶苦茶なアレンジで、吉田さんに無断で販売されるなど、散々だった、 …
吉田拓郎は26歳の時にシングル「旅の宿」、アルバム「元気です。」が大ヒット
ただ、その一方で、吉田拓郎さんは、反体制色の強い従来のフォーク関係者から”裏切り者”と激しい批判を浴びたのですが、
それでも、自分の音楽を貫き続け、同年(1972年)7月1日にリリースしたシングル「旅の宿」が70万枚を売り上げる大ヒットで初のオリコン1位を記録すると、
「旅の宿」
7月21日、続けてリリースしたアルバム「元気です。」も40万枚を売り上げる大ヒット。
こうして、吉田拓郎さんは、フォークを一気にメジャーへと押し上げ、作曲家としても、活動の幅を広げていったのでした。
1972年1月、3枚目のシングル「結婚しようよ」をリリースすると、大ヒットとなり、一躍、スターダムに駆け上った、吉田拓郎(よしだ たくろう)さんですが、従来のフォークファンからは、”裏切り者”扱い …
吉田拓郎は27歳の時に「婦女暴行致傷」容疑で誤逮捕されていた
ただ、人気絶頂だった1973年、吉田拓郎さんは、突然、「婦女暴行致傷」で逮捕されると、
8日間も勾留されたうえ、マスコミの激しいバッシングに遭い、一時は、歌手活動停止にまで追い込まれてしまいます。
1972年、シングル「旅の宿」やアルバム「元気です。」が大ヒットを記録するほか、「たどりついたらいつも雨降り」や「地下鉄に乗って」など、ほかの歌手への提供曲もヒットするなど、一躍、売れっ子となった、吉田拓郎(よしだ たく …
吉田拓郎は27歳の時に森進一に提供した「襟裳岬」が100万枚を売り上げる大ヒット
後に女子大生の嘘の証言だったことが判明し、無実が証明されるも、この影響で、歌手活動が停止に追い込まれるなど、アーティストとして大きなダメージを受けた吉田拓郎さんですが、
1973年5月23日の朝、突然、「婦女暴行容疑」で逮捕され、留置所に勾留されるも、その後、相手の狂言(嘘)だったことが明らかとなり、不起訴となった、吉田拓郎(よしだ たくろう)さんですが、この誤逮捕のダメージは大きく、活 …
翌年の1974年1月には、森進一さんに提供した「襟裳岬」が100万枚を売り上げる大ヒットを記録し、見事、復活を遂げています。
1973年には、女子大生の嘘の証言を信じた警察により、何の取り調べもなく、突然、逮捕されて8日間も留置所に勾留され、そのうえ、マスコミの激しいバッシングに遭い、一時は歌手活動停止にまで追い込まれた、吉田拓郎(よしだ たく …
「襟裳岬」
依頼され、森進一さんのために制作した「襟裳岬」がミリオンセラーとなる大ヒットとなった、吉田拓郎(よしだ たくろう)さんですが、実は、この「襟裳岬」、当初はB面扱いだったといいます。 「吉田拓郎は森進一に提供した「襟裳岬」 …
当時、様々な困難を抱え、引退を考えていたという、森進一さんを励ますために作曲した「襟裳岬」が大ヒットとなった、吉田拓郎(よしだ たくろう)さんですが、実は、吉田さんは、作詞にも大いに関わっていたといいます。 「吉田拓郎が …
吉田拓郎は29歳の時にレコード会社「フォーライフ・レコード」を設立
その後、吉田拓郎さんは、1975年6月には、井上陽水さん、泉谷しげるさん、後藤由多加さんと共に、日本初のアーティストによるアーティストのためのレコード会社「フォーライフ・レコード」を設立すると、
1975年、森進一さんに提供した「襟裳岬」がミリオンセラーとなり、作曲家としても不動の地位を確立した、吉田拓郎(よしだ たくろう)さんは、同年には、日本初の、制作・営業・宣伝・販売などをアーティストが主導するレコード会社 …
1975年4月、小室等さん、井上陽水さん、泉谷しげるさん、後藤由多加さんとともに、日本初となる、アーティスト主導のレコード会社「フォーライフ・レコード」を設立した、吉田拓郎(よしだ たくろう)さんですが、今回は、それぞれ …
1977年には、社長に就任しているのですが、
日本で初めて、アーティストがレコード会社を持つということに成功した、吉田拓郎(よしだ たくろう)さんですが、実は、当初は、音楽業界から圧力をかけられ、どうにもならなくなっていたそうで、そんな中、強力な助っ人の助けにより、 …
1975年、アーティスト主導による画期的なレコード会社「フォーライフ・レコード」を設立すると、同年には、前代未聞のオールナイト野外コンサートを見事成功に導いた、吉田拓郎(よしだ たくろう)さんですが、3年目に売上が低迷す …
1982年には、社長を退任し、1999年には、専属アーティスト契約も解消しています。
ちなみに、吉田拓郎さんが「フォーライフ・レコード」の社長を退任した理由は、アーティストに専念するためだったそうで、
社長として、アーティストだけでなく経営面でも奔走していたことから、次第にその重責の限界を感じるようになっていったようで、レコード業界における経営の重責と自身の音楽活動の両立が大きな負担になっていたといいます。
「フォーライフ・レコード」設立。(左から)後藤由多加さん、井上陽水さん、泉谷しげるさん、吉田拓郎さん。
吉田拓郎のアルバム
それでは、最後に、吉田拓郎さんのソロアルバムをご紹介しましょう。
- 1970年「青春の詩」
- 1971年「人間なんて」
- 1972年「元気です。」
- 1973年「伽草子」
- 1974年「今はまだ人生を語らず」
- 1976年「明日に向って走れ」
- 1977年「ぷらいべえと」
- 1977年「大いなる人」
- 1978年「ローリング30」
- 1980年「Shangri-La」
- 1980年「アジアの片隅で」
- 1981年「無人島で…。」
- 1983年「マラソン」
- 1983年「情熱」
- 1984年「FOREVER YOUNG」
- 1985年「俺が愛した馬鹿」
- 1986年「サマルカンド・ブルー」
- 1988年「MUCH BETTER」
- 1989年「ひまわり」
- 1990年「176.5」
- 1991年「detente」
- 1992年「吉田町の唄」
- 1995年「Long time no see」
- 1996年「感度良好 波高し」
- 1997年「みんな大好き」
- 1998年「Hawaiian Rhapsody」
- 2001年「こんにちわ」
- 2002年「Oldies」
- 2003年「月夜のカヌー」
- 2009年「午前中に…」
- 2012年「午後の天気」
- 2014年「AGAIN」
- 2022年「ah-面白かった」
- 2024年「ラジオの夢」
などのアルバムをリリースしています。
1970年、「イメージの詩」でレコードデビューすると、1972年には、若者の恋や生き方を明るく歌い上げた「結婚しようよ」が大ヒットし、一躍、トップアーティストの仲間入りを果たした、吉田拓郎(よしだ たくろう)さん。 そん …