1970年に「イメージの詩」で歌手デビューして以来、類まれな才能で、次々とヒット曲を世に送り出してきた、吉田拓郎(よしだ たくろう)さんですが、ついに、引退する意向を明かしているといいます。
「吉田拓郎が現在の妻・森下愛子と続いている理由とは?」からの続き
個人事務所や公式サイトを閉鎖していた
吉田さんは、2016年に復帰コンサートを行った後は、2017年と2018年はツアーを行っておらず、2019年はツアーを行うも、2020年7月には、2021年夏のツアーですべてのコンサート活動を終了することを発表しています。
しかし、そのラストコンサートも、新型コロナウィルスの影響で中止とすると、個人事務所や公式サイトなども閉鎖しています。
ラスト・アルバム
ただ、その代わりに、人生の集大成ともいえる、ラスト・アルバムを発売するとのことで、
某音楽関係者は、
このアルバムは、親交のあるKinKi Kidsの2人も、何らかの形で参加する予定になっています。
リリース時期は未定ですが、拓郎さんは「解放されたい」とよく言っているので、そう遠くないタイミングで出すと思いますよ。すでにアルバム発売後は“完全なるリタイア“を宣言されています
と、明かしています。
森下愛子とは既に終活について話し合っていた
実際、吉田さんは、2021年4月9日、自身のラジオ番組で、
これからの老老人生、ふたりで協力して、できれば明るく、できれば平穏に、できればより長く、助け合って生きていこうと思っています
と、妻・森下愛子さんとの老後について語ると、
さらには、
森下愛子さんもね、1年前からすべてのドラマの撮影の世界からのリタイアを決断しておりまして
と、森下さんの引退をほのめかす発言もしています。
(森下さんは、2017年、テレビドラマ「監獄のお姫さま」を最後にドラマに出演しておらず、2021年、テレビドラマ「俺の家の話」への出演が噂されましたが、結局は出演していません)
また、吉田さんの某知人は、
拓郎さんの闘病生活を支えるなか、新型コロナという社会の変化もあって決断したようです。森下さんだけじゃありません。近く、夫婦揃ってリタイアする意向のようです
どちらかが寝たきりになったらどうするか、という話をしているんです。いざというときのために、いまから何をすべきか話し合っているようです
と、語っています。
森下愛子に自身の追悼番組を断るよう話していた
ちなみに、吉田さんは、ラジオ番組で、
自分が死んだ後、追悼番組が放送されることが嫌で(知人や友人が出てきていろいろな思い出話をされるのが嫌なのだそうです)、
森下さんに、
追悼番組の打診が来たら、絶対に断って!
と、お願いし、
それに対し、森下さんに、
ベラベラしゃべりそうな人よりも、あなたが長生きすればいいじゃない
と、言われたことを明かしているのですが、
その際、
よ~し、長生きしなきゃな!
と、声を弾ませていたとのことで、やはり、現在の吉田さんには、森下さんの存在が一番大きいようです。
さて、いかがでしたでしょうか。
吉田拓郎さんの、
- 年齢は?出身は?身長は?本名の由来は?
- 父親は朝鮮総督府官吏の吉田正廣
- 吉田家は朝鮮では裕福な暮らしをしていた
- 「評伝 朝鮮総督府官吏・吉田正廣とその時代」
- 「吉田正廣」が「吉田拓郎」の父親であることが判明
- 吉田拓郎の姉・宏子の協力で完成していた
- 生い立ち(幼少期)
- 父・吉田正廣を一人鹿児島に残し一家で広島に移住
- 女性ばかりの家庭で育つ
- 女性ばかりの環境で気持ちが歪んでいた
- ミュージシャンになったのは兄の影響だった
- 父親は強く学歴を求めていた
- 父親と兄は「風来坊」?
- 不在だった父親と兄に大きな影響を受けていた
- 少年時代は病弱(小児喘息)だった
- 療養中は漫画三昧の日々だった
- 小中高時代は女の子にモテなかった
- 田代みどりや中尾ミエのファンだった
- 少年時代から女性に関して気が多かった
- 高校時代にはインストゥルメンタル・バンド「トーン・ダイヤモンズ」を結成
- 「準ちゃん」に片思い
- 「準ちゃん」にフラれる
- 準ちゃんの曲はその後も「準ちゃんが今日の吉田拓郎に与えた多大なる影響」など8曲も制作していた
- 「準ちゃん」はレコード化される予定だった
- 「ビートルズ」のコピーバンド「プレイボーイズ」として活動
- バンド「ザ・バチェラーズ」で人気を博す
- 東京進出を試みるも相手にされず
- ソロ活動を開始
- 民謡収集のため再び上京~「広徳院」に居候しながらプロの道を模索
- 広島に帰郷し新バンド「ザ・ダウンタウンズ」を結成
- 「第1回ヤマハライトミュージックコンテスト」中四国大会で優勝するも・・・
- 売国奴と非難され全国大会出場を辞退させられる
- 女の子を好きになる事で音楽人として成長していた
- 「広島フォーク村」
- 「イメージの詩」
- アルバム「古い船をいま動かせるのは古い水夫じゃないだろう」を自主制作
- 「広島フォーク村」初代村長の伊藤明夫が上智大学の学生運動家と知り合ったのがきっかけ
- 「広島フォーク村」初代村長の伊藤明夫が吉田拓郎に「フューチャーズ・サービス」を紹介
- 吉田拓郎は「フューチャーズ・サービス」を喰わせ者と思っていた
- インディーズレーベル「エレックレコード」の浅沼勇に見い出される
- 朝日ソノプレス社から「ソノシート」が発売される
- 浅沼勇が語る吉田拓郎との出会い
- 「エレックレコード」に契約社員として就職
- 「エレックレコード」からもアルバム「古い船をいま動かせるのは古い水夫じゃないだろう」が発売される
- 「イメージの詩/マークⅡ」は当初無断で販売されていた
- 「イメージの詩/マークⅡ」でソロデビューを果たすも散々な日々
- 後藤由多加との出会い
- アルバムを立て続けに発売するも・・・
- 「エレックレコード」最後のアルバム「人間なんて」を発売
- 「結婚しようよ」が大ヒット
- 「結婚しようよ」はフォークへの裏切り行為?
- 従来のフォークファンから猛烈なバッシングを浴びる
- シングル「旅の宿」とアルバム「元気です。」が大ヒット
- アルバム「元気です。」で自身の方向性を意思表示
- 突然、自宅に刑事が来て「婦女暴行致傷」容疑で連行され逮捕される
- 女子大生A子とスナックで意気投合するも・・・
- 女子大生A子の狂言と判明し8日後に釈放される
- アリバイがあった
- 女子大生A子は朝帰りを両親に咎められとっさに嘘をついていた
- 活動停止に追い込まれるも逆告訴はしなかった
- マスコミと険悪な関係だったことでより激しいバッシングを受けていた
- 神田共立講堂での復帰コンサートでは悔しさをにじませていた
- 弁護士との対談で壮絶な逮捕劇を語っていた
- 森進一に提供した「襟裳岬」が「日本レコード大賞」を受賞
- 「レコード大賞」の授賞式に上下ジーンズの普段着で出場していた
- 演歌歌手の森進一に曲を提供した理由とは?
- 「襟裳岬」はB面扱いから森進一の強い希望でA面になっていた
- 「襟裳岬」は森進一を励ますために作られた曲だった
- 吉田拓郎は森進一の歌う「襟裳岬」があまりに原曲とかけ離れていて腰を抜かしていた
- 「襟裳岬」の作詞は吉田拓郎と黄金コンビだった岡本おさみが担当
- 「襟裳岬」はもともと「ビートルズが教えてくれた」という詩集の中の詩だった
- 吉田拓郎の希望で歌詞が書き換えられていた
- 「襟裳岬」という曲名は当初は「焚火」だった
- 「襟裳岬」の作詞は吉田拓郎と岡本おさみの共同作業だった
- 日本初の歌手のためのレコード会社「フォーライフ・レコード」を設立
- 莫大な印税が振り込まれたのがきっかけ
- アメリカの音楽業界を知り自分たちのレーベルを持つことに憧れる
- 当時の日本の音楽業界はレコード会社が大きな権限
- 「フォーライフ・レコード」の仕掛人は小室等だった?
- やはり仕掛人は吉田拓郎か
- 井上陽水も「フォーライフ・レコード」設立に参加
- 泉谷しげるも「フォーライフ・レコード」設立に参加
- 音楽業界から圧力をかけられていた
- 「ポニー」「キャニオンレコード」の石田達郎社長が救いの手を差し伸べてくれていた
- 初の野外でのオールナイトイベント「吉田拓郎・かぐや姫 コンサート インつま恋」を成功させる
- 2年間は順調も3年目に売上が低迷
- 吉田拓郎が小室等に代わって社長に就任するも・・・
- 社長を退任しアーティスト業に専念
- 最初の妻・四角佳子との馴れ初め
- 四角佳子の復帰初仕事で出会っていた
- 四角佳子とは仕事で会う機会が多かった
- 四角佳子がケガの手当をしてくれたことで一気に惚れる
- 帰り道でのキスを境に交際スタート
- 当時のマネージャー・伊藤明夫の証言
- 交際後は四角佳子が急速に吉田拓郎に惹かれていた
- 大ヒット曲「結婚しようよ」は四角佳子のための曲だった
- 些細なことでケンカを繰り返すように
- 吉田拓郎の誤逮捕も夫婦関係に大きな影響を与えていた
- 子供が誕生するも夫婦仲は冷え込むばかりだった
- 前妻・浅田美代子との馴れ初め
- 浅田美代子の自宅に電話をかけて誘い出していた
- 浅田美代子はすぐに吉田拓郎の虜になっていた
- 浅田美代子との交際が報道される
- 浅田美代子を心配した内田裕也&樹木希林夫妻が吉田拓郎を詰問していた
- 浅田美代子は交際を認めるも吉田拓郎は交際を否定
- 妻・四角佳子との離婚を発表
- アイドルに曲を提供することが楽しくて仕方なかった
- 妻・四角佳子に暴力をふるっていた?
- 浅田美代子へのプロポーズの言葉とは?
- 浅田美代子は両親への反発心から結婚して引退する決意を固めていた
- 樹木希林が結婚に反対する浅田美代子の両親を説得していた
- 浅田美代子と再婚
- 森下愛子との深夜デートがスクープされるも・・・
- 浅田美代子は不倫疑惑を否定するも突然芸能界に復帰
- 浅田美代子と離婚
- 浅田美代子に慰謝料として全財産を渡していた
- 浅田美代子の天然ボケが離婚原因?
- 自由気ままな吉田拓郎に浅田美代子の不満が積もっていた?
- 森下愛子との馴れ初めは?
- 美容院で再会していた
- 中村雅俊が恋のキューピッドだった
- 森下愛子は結婚後ウツ病になっていた
- ウツ病の森下愛子を10年以上受け止め続けていた
- 肺ガンで肺の3分の1を切除していた
- 喉にもガンが見つかり声が出なくなっていた
- ガン闘病中は妻・森下愛子が心の支えだった
- ガン闘病中も妻・森下愛子は嫌な顔一つ見せずマスコミに対応していた
- 現在の楽しみは森下愛子とのお家デート?
- 激しい性格の森下愛子には振り回されていたが・・・
- 3人目の妻・森下愛子と長く続いている理由とは?
- 子供は娘が一人
- 個人事務所や公式サイトを閉鎖していた
- ラスト・アルバム
- 森下愛子とは既に終活について話し合っていた
- 森下愛子に自身の追悼番組を断るよう話していた
について、まとめてみました。
2019年3月24日、「吉田拓郎 ラジオでナイト」では、
苦しい体験をしましたが、その都度思ったことは、人間は心と体が健康なじゃないと、なんにも幸せな気分とか、力が沸いてこない。
健康とか、というようなことはむしろ若い頃はどうでもよかったんだけど、それはとてもとんでもないことで、体が健康でないといけない、そして、愛のある日常でなければ、人生が非常に味気ない、これはとても大事なことだということを痛感しました。
心でずっと思っていることは、皆さんの健康とか、そういうものを心から願っています。そして、愛情があふれた日常生活を皆さんに永遠に送っていただきたい。そうふうに祈っております
と、語っていた吉田さん。
類まれな才能に恵まれ、人もうらやむような人生を歩んできた吉田さんの言葉ではありますが、一般人にとっても、人生にとって最も大事なことは、健康と穏やかな日々を一緒に過ごせるパートナーの存在なのかもしれません。