三橋達也の死因は?妻は?息子は?中華そば(ラーメン)が大好物だった!

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戦後、端役を経て、1951年「あゝ青春」で本格的に映画デビューを果たすと、以降、ホームドラマタッチの青春映画、恋愛映画、アクション映画など様々なジャンルの映画で主演を務め、スターの地位を確立された、三橋達也(みはし たつや)さん。テレビドラマでは、1979年~1999年に渡り、「西村京太郎トラベルミステリーシリーズ」で主人公の十津川警部を演じ、お茶の間の人気を博しました。




プロフィール!


三橋さんは、1923年11月2日生まれ、
東京都中央区のご出身です。

学歴は、
多摩帝國美術學校、

趣味は、
クレー射撃、ヨット、

だそうです♪


舞台美術家から俳優へ


三橋さんは、お父さんが版彫刻家、お母さんが美容院の経営者、
という家庭に生まれ育たったそうで、

お父さんの影響からか、1942年に「多摩帝國美術學校」
に入学されるのですが、戦時中だったため満足な授業がなく、
翌年1943年に中退されたそうです。

そして、「多摩帝國美術學校」中退後は、
舞台美術家を志し、新劇グループ「新制舞台」に、
舞台美術担当として入団されるのですが、

人から俳優になるように勧められ、
1944年、劇団「たんぽぽ」に入団。

エキストラとして、
映画にも出演するようになったそうです。


「あゝ青春」の主演に抜擢


そんな中、三橋さんは、軍隊に応召されるのですが、
シベリア抑留生活を経て、1947年に復員されると、

翌年の1948年、大泉撮影所
(現在の東映東京撮影所)に入社。

最初は大部屋の所属だったそうですが、
「執行猶予」「女性対男性」「東京ルムバ」などの、
松竹映画に端役で出演されるうち、

カメラマンの藤井静さんの推薦で、1951年、
佐分利信監督の松竹映画「あゝ青春」の主演に抜擢されると、

その後は、松竹の専属となり、
1953年「次男坊」「愚弟賢兄」など、
ホームドラマタッチの青春映画に数多く出演。

そして、翌年の1954年には日活に移籍し、

1955年「愛のお荷物」(川島雄三監督)
     「あした来る人」
     「銀座二十四帖」(川島雄三監督)
     「青春怪談」市川崑監督)
     「こころ」(市川崑監督)


「愛のお荷物」より。(左から)山村聡さん、
轟夕起子さん、三橋さん、高友子さん。


1956年「赤信号・洲崎パラダイス」(川島雄三監督)
     「飢える魂」(川島雄三監督)
     「月蝕」井上梅次監督)


「赤信号・洲崎パラダイス」より。
三橋さんと新珠三千代さん。


などの映画で次々と主演を務め、
たちまちスターの地位を確立されたのでした。

ちなみに、三橋さんは、恋愛映画にも数多く出演されており、
ダンディーな二枚目ぶりから、「和製ケーリー・グラント」
と呼ばれるほどだったそうです。


黒澤明監督映画にも出演


その後、1958年にギャラの問題を巡って、
日活と対立して退社し、同年東宝に入社されると、

これまでの、恋愛映画やアクション映画だけではなく、

1960年「悪い奴ほどよく眠る」
1963年「天国と地獄」


「天国と地獄」より。(左から)香川京子さん、
三船敏郎さん、仲代達矢さん、三橋さん。


と、黒澤明監督映画など、
社会派の作品にも出演されたほか、

1963年~1967年には、
スパイアクション映画「国際秘密警察」シリーズで、
巧みな銃さばきを披露しカルト的な人気を博します。


「国際秘密警察」より。浜美枝さんと三橋さん。

また、1970年の日米合作映画「勇者のみ」では主演を務め、
1975年のハリウッド映画「トラ・トラ・トラ!」では、
日本海軍の参謀役で出演するなど国際的にも活躍。

さらに、テレビドラマでは、1979年~1999年、
土曜ワイド劇場「西村京太郎トラベルミステリーシリーズ」での、
主人公の十津川警部役が当たり役になるなど、
幅広いジャンルの作品で活躍されたのでした。


「西村京太郎トラベルミステリーシリーズ」より。
三橋さんと愛川欽也さん



死因は?


その後も三橋さんは、

映画では、

2001年「忘れられぬ人々」
2002年「Dolls」
2004年「CASSHERN」


「Dolls」より。松原智恵子さんと三橋さん。

テレビドラマでは、

2001年「おばさん会長・紫の犯罪清掃日記!ゴミは殺しを知っている2」
2002年「まんてん」

などに出演されているのですが、

2004年4月30日、
自宅で胸の痛みを訴えると、緊急入院され、

一時は会話ができるまでに回復されるも、
5月14日夜に容態が急変。

翌日の5月15日の午前0時、
「急性心筋梗塞」で他界されたのでした。


中華そば(ラーメン)が大好物!


ところで、三橋さんを、「ラーメン」「中華」で、
多くの方が検索されているようです。

というのも、三橋さんが愛した味として、
東銀座にある中華そばの店「萬福(まんぷく)」が、
テレビ番組で紹介されていたそうで、

三橋さんはその店のワンタンメンや、
醤油ラーメンが大好物だったのだとか。

残念ながら、詳しいエピソードなどは分からなかったのですが、
三橋さんは足繁く通われていたということでした♪


「萬福(まんぷく)」のワンタンメン


妻は?息子は?


そんな三橋さんの気になる、
プライベートですが、

三橋さんは、1961年に、元女優の、
安西郷子(あんざい きょうこ)さんと結婚されています。
(享年2002年12月28日)



お二人の馴初めなど詳しいことは分かりませんでしたが、
奥さんも東宝に在籍されていたことから、
同じ事務所の仲間として知り合われたのかもしれませんね。

結婚後、安西さんは芸能界を引退し、
主婦業に専念されていたようで、

1971年には、長男の、
三橋忠央(みはし ただお)さんが誕生しています。
(忠央さんは現在、映像クリエーターとして活動中)

ちなみに、娘さんもいらっしゃったようですが、
まだ赤ちゃんだった1964年に、ベッドから転落死する、
という不幸に見舞われたようです。

さて、いかがでしたでしょうか?

三橋さんの遺作となった、映画「CASSHERN」の紀里谷和明監督は、
当時、新人監督だったため、三橋さんの出演シーンで、
10回以上もNGを出してしまったそうで、
撮影後、三橋さんに謝罪されたそうですが、

逆に、三橋さんからは、

監督、何度でもやりますから、
気にしないでくださいよ。監督の作品なんですから。

と、気遣ってもらったのだとか。

戦後から長きに渡り、恋愛、アクション、社会派、喜劇など、
ありとあらゆるジャンルの作品に出演され、
そのダンディーな魅力で多くのファンを虜にされた三橋さんですが、

そんな温かいお人柄は、実生活で、
シベリア抑留やお子さんを亡くされるなど、
辛いご経験をされたからなのかもしれませんね。

三橋さんのご冥福をお祈り致します。



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