妻・小山明子さんの献身的な看病のもと、2010年10月には、金婚式に出席できるまでに回復していたという、大島渚(おおしま なぎさ)さんですが、2013年1月には、16年に及ぶ闘病生活も及ばず、帰らぬ人となりました。
「大島渚は妻・小山明子に献身的に看病されていた!」からの続き
死因は肺炎
2010年10月には、金婚式に出席できるまでに回復していた大島さんですが、翌年2011年10月には、「嚥下(えんげ)性肺炎」で一時意識を失うと、その後、回復するも、2012年12月中旬には、容体が急変し、神奈川県藤沢市内の病院に入院。
妻・小山明子さんが、
あとちょっとでお正月。家族みんなそろうから頑張って
と、励ますと、
はい
と、答えたそうですが、
2013年1月12日、血圧が急激に低下すると、1月15日午後2時頃には危篤状態となり、小山さんの「頑張って」との呼びかけに、うなずくも、午後3時25分、「肺炎」のため、80歳で他界されています。
告別式には坂本龍一ほか700名が列席
そして、2013年1月22日、東京・築地本願寺でしめやかに告別式が執り行われると、坂本龍一さんがニューヨークから駆けつけるほか、田原総一朗さん、松田龍平さん、寺島進さん、ジョニー大倉さんら約700名が列席。
妻の小山さんが、
大島渚の妻として、今日ほど誇りに思ったことはありません。長い間、ありがとうございました
と、涙ぐみながらに参列者に深々と頭を下げると、映画「戦場のメリークリスマス」の曲「メリー・クリスマス ミスターローレンス」が響く中、松田さん、寺島さん、ジョニー大倉さんに抱えられた大島さんの棺は霊柩車に運ばれ、
その後、小山さんは位牌を抱きながら、
皆々さまの温かいお言葉を頂戴し、みんなに愛され、幸せな男だと思います。いい旅立ちをしたと思う
お酒が好きな方だったので天国で若松(孝二)さんとお酒を酌み交わしているでしょう
と、涙で言葉をつまらせながら語っています。
(若松孝二さんも映画監督で、「愛のコリーダ」などで一緒に仕事をするなど親交が深かったそうですが、2012年に交通事故で他界されていました)
デヴィッド・ボウイのコメント
また、この訃報に聞いた、(「戦場メリークリスマス」に出演した)イギリスの歌手で俳優のデヴィッド・ボウイさんは、
オオシマさんの魂が、この世を去った。彼の才能の恩恵を受けた我々は、今それを惜しむばかりだ。
デヴィッド・ボウイ
(All of us who have had the privilege of working with Oshima-san will miss his spirit tremendously.David Bowie )
と、コメントを発表しています。
(そんなデヴィッド・ボウイさんも、2016年1月10日、肝ガンのため、69歳で他界されています)
さて、いかがでしたでしょうか。
大島渚さんの、
- 出身は?学歴は?本名の由来は?妹は?曽祖父は?
- 幼少期は父の仕事の関係で瀬戸内海を転々とする
- 中学時代は野球部だった
- 大学時代は学生運動や演劇活動に熱中していた
- 法学部の助手試験を不合格となって松竹の助監督試験を受けると合格
- 自作シナリオ「愛と希望の街」(「鳩を売る少年」)で映画監督デビュー
- 「青春残酷物語」「太陽の墓場」が大ヒット
- 「日本の夜と霧」が無断で上映打ち切りとなり松竹を退社
- 松竹を退社し小山明子らと独立プロダクション「創造社」を設立
- 「忘れられた皇軍」などテレビのドキュメンタリー作品で高い評価を受ける
- 「悦楽」で3年ぶりに劇場映画に復帰
- ATGと業務提携し「絞死刑」「少年」「儀式」ほか次々と秀作を発表
- 映画製作資金稼ぎのためテレビで活動
- 「愛のコリーダ」で国際的な評価を確固たるものに
- 「愛のコリーダ」のあらすじ
- 「愛のコリーダ」のキャスティングは難航を極めていた
- 助監督だった崔洋一が藤竜也を推薦していた
- 大島渚と藤竜也はほとんど会話を交わしていなかった
- 藤竜也の「愛のコリーダ」出演承諾を聞き崔洋一は思わず泣いていた
- 「愛のコリーダ」記者会見では大喜びしていた
- 「愛のコリーダ」裁判で無罪
- 「わいせつ、なぜ悪い」が大きな話題に
- 「愛の亡霊」が「カンヌ国際映画祭最優秀監督賞」を受賞
- 武田泰淳の「わが子キリスト」の映画化や勝新太郎との企画は実現せず
- 東映からの「日本の黒幕」の製作オファーを快諾
- 企画が面白く公開日が決まっていたことから「日本の黒幕」のオファーを受けるも・・・
- 映画「日本の黒幕」のストーリーを変えさせていた
- 脚本家の内藤誠に協力を依頼
- 当時まだ無名の三上博史が少年テロリスト役に自身を売り込んできていた
- 高田宏治の脚本が伝えていたイメージと違っていた
- 内藤誠に高田宏治の脚本を共に改訂することを依頼
- 内藤誠が最初から脚本を書き直すことを提案
- 高田宏治の脚本を床に叩きつけていた
- 自分たちで作った脚本を提示するも慌てて脚本を担当したい訳ではない旨伝えていた
- 「仁義なき戦い」の脚本家・笠原和夫の参加を希望するも断られる
- 自身が書いた脚本のラストにも納得できず公開延期を求めるも受け入れられず降板
- 大島渚のコメント
- 映画「日本の黒幕」は大島渚が降板後、降旗康男監督で製作され公開されるも興行は振るわず
- 「東映」のプロデューサー・日下部五朗は懲りずに大島渚に再オファーしていた
- 三上博史に詫び状を送っていた
- 「戦場のメリークリスマス」が世界中で公開され高い評価を得る
- 「戦場メリークリスマス」の観客は当初は若い世代ばかりだった
- 映画「戦場のメリークリスマス」の原作「影の獄にて」は本屋でたまたま見つけインスピレーションを得ていた
- 「戦場のメリークリスマス」は商業性に乏しく海外のプロデューサー探しに難航していた
- 「ヘラルド・エース」の原正人に「戦場のメリークリスマス」の企画をあきらめるように説得されていた
- ロバート・レッドフォードにジャック・セリアズ陸軍少佐役をオファーするも・・・
- ロバート・レッドフォードには遠回しに出演を断られていた
- 姪の臼井久仁子がセリアズ陸軍少佐役にデヴィッド・ボウイを提案
- 宝酒造「純」のCMに出演するデヴィッド・ボウイを見てセリアズ陸軍少佐役を決めていた
- 舞台「エレファント・マン」でのデヴィッド・ボウイの演技を観て衝撃を受けていた
- デヴィッド・ボウイが「戦場のメリークリスマス」出演を快諾
- デヴィッド・ボウイからは日本人独特のニュアンスが英語圏の観客には理解できないと指摘されていた
- 日本人独特のニュアンスを英語圏の観客には理解できるよう脚本を手直ししていた
- 英プロデューサーのジェレミー・トーマスが名乗り出る
- 英プロデューサーのジェレミー・トーマスは大島渚のファンだった
- ジェレミー・トーマスに「戦場のメリークリスマス」のプロデュースを託す
- 「テレビ朝日」と「松竹」の出資が決まるも・・・
- 小田久栄門がテレビ朝日の上層部を説得していた
- 全財産をはたいて個人的に借金をしていた
- イギリスでの資金調達の為にテリー・グリンウッドをエグゼクティヴ・プロデューサーとして迎える
- ジェレミー・トーマスからオーストラリアで撮影することを提案される
- イギリスでの資金調達を断念しオーストラリアかニュージーランドで「タックス・シェルター」を利用することに
- 「戦場のメリークリスマス」の撮影地をオーストラリアかニュージーランドで迷っていた
- ニュージーランドで「戦場のメリークリスマス」の撮影を行うことが決定
- 最後はオランダの金融業者の出資によりなんとか資金調達の問題が解決していた
- 緒形拳がハラ軍曹役を演じる予定だった
- 滝田栄が陸軍大尉ヨノイ役を演じる予定だった
- 新たな陸軍大尉ヨノイ役として沢田研二にオファーするも・・・
- 「戦場のメリークリスマス」はキャスティングも難航していた
- ビートたけしにハラ軍曹役をオファー
- ビートたけしは小林信彦に背中を押されて出演を決意していた
- 周囲からは撮影スケジュールの問題でビートたけしの起用を反対されていた
- 坂本龍一の写真を見て気に入りヨノイ役にオファー
- 坂本龍一はオファーを即座に了承し映画音楽も申し出ていた
- 坂本龍一の殺気と色気に「戦場のメリークリスマス」の成功を確信していた
- ジョン・ロレンス陸軍中佐役にはイギリス人俳優のトム・コンティ
- ジェレミー・アイアンズはオファーを断ったことを後悔していた
- 「戦場のメリークリスマス」には三上博史も一兵卒役(端役)で出演していた
- 三上博史は「戦場のメリークリスマス」のオーディションに一瞬で合格するも・・・
- 三上博史は端役に納得行かず大島渚に直談判していた
- 三上博史は寺山修司に背中を押され端役でも「戦場のメリークリスマス」への出演を決意
- 三上博史は「戦場のメリークリスマス」出演をきっかけに俳優として飛躍していた
- 「戦場のメリークリスマス」の名シーンは機材トラブルで偶然撮影されたものだった
- 「戦場のメリークリスマス」の名シーンは奇跡だった
- 唐十郎原作の「佐川君からの手紙」の映画化を企画するも・・・
- 映画「佐川君からの手紙」は企画中に脚本の寺山修司が急死していた
- 映画「佐川君からの手紙」は脚本の寺山修司が急死しお流れとなっていた
- 監督作品(映画)
- 監督作品(テレビ)
- 脚本作品(映画)
- 脚本作品(テレビ)
- 出演作品(映画)
- 受賞・受章歴
- 著書
- 結婚30周年パーティーでは勘違いから野坂昭如の挨拶をカットしていた
- 野坂昭如に突然殴られる
- 謝罪するも野坂昭如は泥酔して怒り狂っていた
- 野坂昭如は緊張を紛らわすために飲酒していた
- 野坂昭如とはすぐに仲直りしていた
- 野坂昭如との殴り合いのケンカは遊び心からだった?
- 妻・小山明子との馴れ初めは?
- 妻・小山明子が逆プロポーズ
- 結婚当初は妻・小山明子が生活を支えていた
- 妻・小山明子は学歴にコンプレックスを抱いていた
- 家庭では穏やかだった(声を荒げたことは一度もなかった)
- 妻・小山明子が語る大島渚との思い出
- 息子(長男)の大島武は当初NTTに勤務していた
- 息子(長男)の大島武は東京工芸大学教授
- 息子(長男)は当初は父・大島渚を尊敬するも「愛のコリーダ」で恨むようになっていた
- 息子(長男)は「愛のコリーダ2000」を観てようやく父・大島渚の生き方を理解できるようになっていた
- 息子(次男)はドキュメンタリー監督・プロデューサーの大島新
- 息子(次男)は小学生の頃「大島渚の息子」と言われるのが嫌だった
- 息子(次男)は「愛のコリーダ」を撮った父親にショックを受けていた
- 息子(次男)は「愛のコリーダ」がトラウマになっていた
- 息子(次男)がテレビのドキュメンタリーを選んだ理由とは?
- 脳出血で倒れるも懸命なリハビリの末に回復
- 再び倒れ「要介護5」の認定を受けると別人格になってしまっていた
- 妻・小山明子は大島渚の介護で重度のウツ病を発症していた
- 妻・小山明子はある人の言葉でウツ病から立ち直っていた
- 妻・小山明子は女優を捨てて大島渚を献身的に介護していた
- 妻・小山明子は大島渚が生きがいを失わないように工夫していた
- 金婚式に出席できるまでに回復していた
- 死因は肺炎
- 告別式には坂本龍一ほか700名が列席
- デヴィッド・ボウイのコメント
について、まとめてみました。
すごいテンションだったからね。あの監督は。あの映画(戦メリ)やって、(監督って)これほど面白いのか、やってみようと思った
と、ビートたけしさんに言わしめた、映画監督としてもキャラクターとしても唯一無二の存在だった大島さん。
もう今後、大島さんのように、(本当の意味で)正面から社会に抗い、自分の表現を貫く映画監督は現れないかもしれません。大島さんのご冥福をお祈り致します。
「大島渚の生い立ちは?大学時代は学生運動と演劇活動に熱中していた!」