90歳を回っても現役の俳優として活動を続けていた、森繁久彌(もりしげ ひさや)さんですが、2004年、91歳の時、健康上の理由で芸能活動を休止すると、その後は、復帰することなく、2009年、96歳で他界されます。
「森繁久彌には養女(黒人と日本人のハーフ)がいた!」からの続き
晩年は健康上の理由で2004年(91歳)に芸能活動を休止
森繁さんは、2000年、87歳の時、「胆管結石」のため緊急入院すると、2002年の大晦日には、静養先の沖縄で、「心筋梗塞」で倒れ、一時は危険な状態に陥いるも、その後、無事に回復し、仕事に復帰しているのですが、
2004年、テレビドラマ「向田邦子の恋文」への出演を最後に、俳優活動を休止しています。
以降、公の場に姿を見せるのは、芸能関係者の葬儀の時だけだったのですが、それも、盟友で演出家の久世光彦さんの2006年の通夜で最後となっています。
(久世さんの通夜へは、周囲が健康上の理由で反対するのを押し切っての参列だったそうですが、通夜では、22歳も年下の久世さんが急死したことに、「如何して僕より先に逝っちゃうんだよ・・・長生きするって辛いの・・・」と嘆き悲しんでいたそうです)
朗読DVD「霜夜狸(しもよだぬき)」発売の際には元気な近況が明かされていた
そんな森繁さんですが、2007年2月23日に、朗読DVD「霜夜狸(しもよだぬき)」をリリースすると、その際には、天気の良い日には車椅子で散歩し、松本幸四郎(現・二代目松本白鸚)さんの舞台「勧進帳」など、好きな俳優の舞台を観に行くこともあるほか、食欲は旺盛で、時々、お気に入りの東京会館にフランス料理を食べに出掛け、フォアグラやステーキなどの肉料理を堪能するなど、元気な日々を送っている近況が明かされており、
森繁さん自身も、
体は思うように動かないが心は現役である
とのコメントを発表しています。
「霜夜狸」
死因は老衰
しかし、そんな森繁さんも、2009年7月に風邪をひき、医療機関で検査をしたところ、「肺炎の疑いがある」ということで、7月22日、都内の病院に入院すると、入院中は、看護師とも仲良くするなど、容態は落ち着いていたそうですが、その後、11月9日朝に容態が急変すると、危篤状態となり、翌10日の午前8時15分、老衰により、96歳で他界されています。
森繁さんの次男・建さんによると、幸い、親族は、森繁さんの最期を看取ることができ、森繁さんを送る際には、紋付袴に正装し、(すでに他界している)奥さんや、実父・母親の写真、孫たちが作った折り紙を一緒に入れたそうで、
建さんは、森繁さんについて、
俳優という意識は持たないようにしていた。いい親父でした。最後の言葉も『楽しかった』とごく普通の親子の会話でしたね
(お父さんとの思い出について、涙ぐみながら)昔の作品が再放送されるから『一緒に見よう』と言っても『もう終わったこと』というぐらい潔い人。また、どんな人にも『ありがとう』と頭を下げていたのは私自身、勉強になりました
亡くなる6日前にも(孫・ひ孫合わせて17人目の子が)入院していた病院で産まれたばかり。誰が誰だかわかっていないから皆に『チビ!』って声をかけて一緒に食事していましたね
管とかつけず、父が自力で生きたのが一番嬉しかった。そういう意味では(最期は)穏やかに眠ったと思う
と、語っています。
密葬だった
ちなみに、生前、森繁さんは、(葬儀などは)こじんまりやってほしいと言っていたそうで、(具体的な遺言はなかったそうですが)森繁さんの希望を尊重すると共に、家族の、最後は(芸能人ではなく)父として送ってあげたい、との思いから、通夜や葬式を行わない、家族葬に近い密葬という形で見送ったそうです。
(2009年11月20日には、青山葬儀所で、葬儀・告別式とファンによるお別れ会が行われたそうで、告別式には、黒柳徹子さん、西郷輝彦さん、中村メイコさん、司葉子さん、伊東四朗さん、加山雄三さん、里見浩太朗さん、竹脇無我さん、和田アキ子さん、西田敏行さんほか、小泉純一郎氏をはじめとする政財界関係者も数多く参列したそうです)
さて、いかがでしたでしょうか。
森繁久彌さんの、
- 年齢は?出身は?身長は?
- 本名は?
- 2歳の時に父親が他界~進学校の北野中学校へ入学
- 中学時代は天井裏から小便をし5日間の停学処分になっていた
- カカシを使ったいたずらでも2日間の停学処分になっていた
- 歴史の試験では自分の名前だけを書き落第させられていた
- 高校時代は物理学者を目指すも成績が伴わず断念
- 先輩に誘われるがまま早稲田大学の演劇研究部に入部すると芝居の虜に
- 山本薩夫と谷口千吉が左翼活動で特高に検挙されて早稲田を中退したことで「演劇研究部」の中心的存在に
- 素人劇団「中央舞台」に参加するようになる「中央舞台」から「人間座」へ改名
- 必修の軍事教練を拒否し早稲田大学を中退していた
- 兄のコネで「東宝」に入社
- 後年には自身も「東宝」の重役たちと同じことをしていた
- 胡散臭い面接で「東宝」に採用される
- 「東宝」に入社後は「日本劇場」で舞台進行係
- 藤山一郎に舞台に出してほしいと頼み込む
- 「日劇」では警察官の役で初舞台を踏むも観客にウケず失敗に終わる
- 「「日劇」は「工事に手を抜いた日劇」と噂されトラブルの多い劇場だった」
- 「日劇」の地下で血だらけの男が死んでいるのを発見
- 性器を出したまま死んでいた酔っぱらいに同情していた
- トイレにこもった痴漢退治に行かされる
- 痴漢は男子トイレと女子トイレの境の鉄板にドリルで穴を開けていた
- 痴漢撃退のため上司から恐ろしい命令をされる
- 痴漢を捕まえるも大学の教授と判明し哀れでこっそり釈放
- 「東宝新劇団」に入団するもすぐに「東宝歌舞伎」に左遷される
- 「東宝歌舞伎」の社長・小林一三のやり方に反発を覚えていた
- 「東宝歌舞伎」の団員になるためには家庭が裕福であることが絶対条件だった
- 「新歌舞伎「宮本武蔵」は失敗に終わっていた」
- 新歌舞伎「宮本武蔵」の出番終了後は幹部用の風呂に入っていた
- ついには「馬の脚」の役をやらされる
- 「ロッパ一座」では古川ロッパに可愛がられていた
- NHKのアナウンサーに転身し満州に赴任していた
- 日本の敗戦を1週間前に知っていた
- 満洲では市民で編成された部隊が突然やって来た
- 市民で編成された部隊の准尉が顔見知りだった
- 満洲では火炎瓶を手作りするも失敗していた
- 敗戦間近になると悲惨な事件が次々と起きていた
- 森繁家には新京の見知らぬ人たちが次々と転がり込んできていた
- 玉音放送で敗戦が伝えられ家族だけ新京を発つことに
- 家族が満洲・新京から旅立つのを見送る
- 寂しさから独身寮の社員たちを家に連れて来ていた
- 家族が満洲・新京に戻ってくる
- ソ連兵の暴虐に怯えて暮らしていた
- ソ連兵に家に押し入られ銃撃されていた
- ソ連兵は当初ライターを理解することができなかった
- 日本人が日本人相手に商売を始めていた
- 日本人が次々とシベリアに送られていった
- 近所の人がソ連兵に頭を銃で撃たれ殺される
- 骨と皮ばかりの痛々しい遺体が山積みにされていた
- 水を求める日本人の声を聞き水を探して歩き回る
- いつ動き出す分からない汽車の下を這って日本人に水を渡す
- 兵隊4人に突然家に押し入られるもそのうちの1人は顔見知りだった
- シベリア連行を告げられる
- 偉い人5人の居場所を教えるよう脅迫される
- 妻が果敢にも兵隊4人に対応していた
- 指定された日に憲兵隊本部(かつての放送局の青年寮)に行くと・・・
- 憲兵隊本部の狭い地下室に放り込まれる
- ソ連兵に敵意がないことは分かるも・・・
- ソ連の憲兵中尉から対ソ放送をしていたと尋問を受ける
- ソ連の憲兵中尉からの尋問に「芸術家」だと答えていた
- 涙ながらに土下座する姿を気に入られ釈放される
- ソ連兵に持ち物すべてを提供していた
- 映画のワンシーンのように裏口に待っている馬車で脱出していた
- 無事に帰宅し妻と抱き合う
- 中尉と偶然キャバレーで再会し慌てて逃げていた
- ようやく満洲から日本への引き揚げが叶う
- 憧れの井上正夫と出会うも・・・
- 舞台「鐘の鳴る丘」では出番を勘違いし風呂に入っていた
- 舞台「鐘の鳴る丘」では素っ裸になってしまい途中で上演中止となっていた
- 井上正夫は咎めるどころかフォローしてくれた
- 井上正夫には「器用な役者は大成しない」と教えられる
- 井上正夫は無礼な質問にも丁寧に答えてくれた
- 井上正夫を大きい役者だと尊敬するも最後までその正体が分からなかった
- 喜劇役者として頭角を表す
- コメディ映画「三等重役」で喜劇役者としての印象を決定づける
- 映画「社長シリーズ」「駅前シリーズ」で大ブレイク
- 「七人の孫」「だいこんの花」「おやじのヒゲ」などホームドラマで活躍
- 出演作品(映画)
- 出演作品(テレビドラマ)
- 出演作品(舞台)
- 声の出演
- 受賞・受章歴
- 「知床旅情」が加藤登紀子のカバーでミリオンセラーの大ヒット
- 「知床旅情」の原曲は自作曲「オホーツクの舟歌」だった
- NHK紅白歌合戦に7年連続出場
- 妻とは早稲田大学時代に知り合っていた
- 娘は?
- 息子(長男)は?
- 息子(次男)は?
- 「徹子の部屋」の第1回目のゲストだった
- 黒柳徹子をしばしばナンパしていた
- 養女は黒人と日本人のハーフ
- 国籍がなく国際結婚ができなかったため「森繁」の籍に入れていた
- 養女はカリフォルニアで幸せな結婚生活
- 晩年は健康上の理由で2004年(91歳)に芸能活動を休止
- 朗読DVD「霜夜狸(しもよだぬき)」発売の際には元気な近況が明かされていた
- 死因は老衰
- 密葬だった
について、まとめてみました。
大指揮者だったフルトベングラーの言葉の中にね、「あなたが感動したのはあなた自身にあるのではない。今日観ていたお客様とあなたの間に生まれたのです」というのがあります。素晴らしい人の言葉には素晴らしいものがありますね。
舞台っていうのは、幕が降りた瞬間に消えてしまうでしょ。それは一番哀しいことだけれど、そのはかなさが素晴らしいんです。そこで、お客様の頭の中に少しでも「感動」という余韻が残ればこんなに嬉しいことはありません。
と、語り、特に舞台に情熱を持っていた森繁さん。
孫ひ孫合わせて17人という大家族に加え、多くの芸能人からも本当のお父さんのように慕われた森繁さんは、まさに、ホームドラマで演じるお父さん役そのままの人柄だったようです。
森繁さんのご冥福をお祈り致します。