テレビ番組「ムツゴロウとゆかいな仲間たち」では、いつも元気な印象の、ムツゴロウこと畑正憲(はた まさのり)さんですが、82歳の時には、「心筋梗塞」で入院していたといいます。
「ムツゴロウは象使いになるため家族に無断で1ヶ月スリランカに行っていた!」からの続き
60歳を過ぎて体力の衰えを感じ始めていた
どんな野生動物だろうと、臆することなく近づき、命知らずと思えるほど、いつも元気なイメージのムツゴロウさんですが、ムツゴロウさんによると、60歳を過ぎると、自分の命が惜しく感じるほど、体力がなくなってきたそうで、
(若い頃は馬から落ちても「イタタタ・・・」で済んでいたのが、60歳を過ぎると、半月は入院しなければならないことになったそうで、そうすると、「こういう危険なことしていいのかな?」と考えるようになったそうです)
75歳を過ぎた頃からは、はっきりと老いを実感するようになったそうです。
(体力がなくなると同時に、精神力もなくなってきたそうです)
心筋梗塞で入院していた
さらに、2017年、82歳の時には、死んでもおかしくないほど重篤な「心筋梗塞」となり、入院したそうですが、それからは特に、老いを強く感じるようになったそうで、
ムツゴロウさんは、
「死」っていう言葉は口にしないように、心に鍵をかけて辛抱していたんですけど、最近は考えるようになりました。年を取るのは辛いもので、何ひとつ自分の思った通りにはできなくなるんです。
最近は「僕が死んだら」とか平気で言ってしまって、心が弱くなったのかもしれません。でもあの世に行く前に、僕の経験したことを全部話しておきたい気持ちが強くて、それでYouTubeもはじめたし、絵を描いたりこうしてお話ししたりしてるんです。
と、語っています。
(ムツゴロウさんは、YouTubeチャンネル「ムツゴロウの656」を開設しており、全656回かけて自分の体験したことを話そうと思っているそうです)
愛煙家
そんなムツゴロウさんは、喫煙歴60年を超える愛煙家なのですが、健康のため、家の周りを散歩するなどして、身体や血液を鍛え直すも、禁煙をする気はないそうで、
82歳の時、「心筋梗塞」で入院した時でさえも、病室の窓から上半身を外側に乗り出してタバコを吸っていたのだとか。
ただ、その時は、看護師が飛んできて怒られたそうで、
ムツゴロウさんが、
上半身は病院の外だよ
と、説明するも、当然、通じず、今度、同じことをしたら病院を出ていくように言われたそうです(笑)
ちなみに、それでも、ムツゴロウさんは、禁煙する気はなく、
(近年の禁煙の風潮は)困ったもんだなと思ってます。覚えたのは大学生の頃で、渋谷にできた東急百貨店の2階に洋モクを置いてるタバコ売り場ができまして、それを1本ずつ味わいながら吸いましたね。
今はタバコが目の敵にされることが多くって、いっそこんな世の中なら早いことおさらばしようかと思う時さえありますよ(笑)
と、語っていました。
現在は北海道中標津のログハウスで妻と2人暮らし
ところで、現在、ムツゴロウさんは、1981年に移り住んだ北海道の中標津にあるログハウスで、妻の純子さんと生活しているそうで、
(フィンランドから運んだヨーロッパアカマツという木で建てたそうです)
(記者の「後悔はない?」との質問に)それは少しある(笑)。今はお金がないからねぇ。あのとき、残しておけばよかったのかなって考えることもたまにありますよ。
と、「ムツゴロウ動物王国」を開園した際、経営などまるで考えていなかったことを明かしているのですが、
それでも、
もう引っ越してきて40年くらいになりますけど、広くて、川が流れていて、馬が喜んで草を食べるところがいいなと思って選びました。広さはわからんのですけど、100万坪くらいだと思います。
それと、来る時に、道に梨(なし)がいっぱい落ちていたでしょう? 森や川は動物の食べ物を作ってくれるんです。時々、この家にもエゾリスやモモンガが来て窓を叩きますよ。気がついたら食べ物をあげたりして、そんな付き合いをしています。
と、語っており、北海道の大自然の中、本を執筆しながら、ゆったりと暮らしているようです。
ちなみに、現在、ムツゴロウさんの家には、かつてのように、たくさんの動物はおらず、一緒に暮らしているのは、大型犬のルナと猫のマヤ、そして、家のすぐ近くにある「ムツ牧場」にいる数頭の馬だけだそうです。
(北海道を引き払い、東京のマンションで一人暮らしをしていると報道されたこともあったそうですが、ムツゴロウさんは、専門学校の教育顧問をしているため、その仕事の拠点として、東京に事務所を構え、全国を回っているそうで、仕事が終わると、北海道に帰っているそうです)
愛犬のルナとムツゴロウさん。
さて、いかがでしたでしょうか。
ムツゴロウ(畑正憲)さんの、
- 年齢は?出身は?学歴は?本名は?
- 愛称「ムツゴロウ」は魚のムツゴロウに似た寝姿が由来
- 前の職場でのあだ名を雑誌の編集者に勝手に使われていた
- 趣味の麻雀は日本プロ麻雀連盟初代十段位(全3期優勝)の腕前
- サラリーマン時代は毎晩麻雀してほとんど負けなかった
- 「雀魔王」を2大会連続獲得
- ギャンブル好き
- 囲碁はアマチュア5段!画家としても活動
- 10日間不眠不休で麻雀をしたことがあった
- 尋常ではない根気と集中力の秘訣とは?
- ガン再発の恐怖から救ってくれたのが麻雀だった
- 幼少期は医師である父親の赴任先の満洲で育つ
- ムツゴロウ一家は原野を切り開いて村を作った本物の開拓団だった
- 太平洋戦争開戦前に兄と弟が他界
- 幼年学校に通う兄に同行し日本へ帰国
- 命からがら帰国
- 帰国後は親戚宅に身を寄せるも実の子と差をつけられいつも空腹状態で人間不信に陥っていた
- 小学校でもイジメられるも・・・
- イジメっ子と1対1で決闘し勝利していた
- イジメで悩んだことはなかった
- 読書だけで漢字を覚えていた
- 英語の本を辞書なしで読んでいた
- 中学生で数学も大学3~4年生の実力を持っていた
- 東京大学理科II類に現役で合格
- 両親は東大医学部に進学することを希望していた
- 父親には常陸宮正仁親王からの記念品を渡して東大大学院に進学することを許してもらう
- 文学が諦められず東大大学院の研究室を飛び出していた
- 山谷に住みつきギャンブルに明け暮れていた夜の仕事をしていた女性に説得され就職することに
- 妊娠中の妻に出産費用としてギャンブルで稼いだ2万円を送っていた
- 学研の社長に直接手紙を書いて就職していた
- 学研では映像部門に配属されていた
- 学研での仕事は”神が与えてくれた職業”と思うほどのめりこんでいた
- 会社を休ませろと署名活動が起きていた
- 就職して最初の半年は雑誌の原稿取りの仕事をするも生意気で作家を激怒させたことがあった
- 学研を解雇されていた
- 「われら動物みな兄弟」の原稿を他社に渡してしまったのが解雇の原因
- 解雇されるも学研には感謝していた
- 職安の職員の態度に激怒し履歴書を引きちぎって職員の顔に投げつけていた電通の部長に誘われ電通に入社
- 電通の部長とは学研で飼っていたカエルが縁で知り合っていた
- 電通に入社するも半年後には作家活動に専念するために退職
- もともとは文章を書くのが下手だった
- おもしろい文章の書き方を研究するために1晩2~3冊のペースで大衆小説を読んでいた
- 北海道の無人島に家族で移住
- 北海道の無人島に移住した理由とは?
- 北海道ではエゾヒグマの子熊を飼育していた
- 子熊と同じ部屋で住むも懐かず何度も噛みつかれていた
- 熊の部屋に裸でごろ寝して懐かせていた
- 飼っていた子熊が大きくなり北海道浜中町に引っ越す
- 飼っていた熊が発情期を迎え攻撃してくるも返り討ちにしていた
- 返り討ちにされ熊舎の角で怯える熊をさすり涙が止まらなかった
- 熊が死亡した際には自ら執刀していた
- 北海道浜中町で「ムツゴロウ動物王国」を開園していた
- テレビ番組「ムツゴロウとゆかいな仲間たち」は21年も続く超人気番組に
- 「ムツゴロウとゆかいな仲間たち」が始まったきっかけとは?
- 「ムツゴロウとゆかいな仲間たち」で野生動物と触れ合うシーンはぶっつけ本番だった
- 「ムツゴロウとゆかいな仲間たち」で残念に思っていたこととは?
- 打ち合わせをしなかったのは小学校の理科の本のようになってしまうため
- 「「ムツゴロウとゆかいな仲間たち」ではライオンに指を食いちぎられていた」
- ライオンに指を食いちぎられても動物が怖くなることはなかった
- ライオンに指を食いちぎられたシーンは本人の要望でそのまま放送されていた
- 1人になれないことが一番辛かった
- 「ムツゴロウ動物王国」や自宅にいる動物やスタッフの数を把握していなかった
- 弟子を1人も取らなかった
- 「ムツゴロウ動物王国」のスタッフからは一銭も受け取らなかった
- 「よーし、よしよし」は科学的根拠に基づいて言っていた
- 「ムツゴロウとゆかいな仲間たち」は体力的な問題で終了していた
- 「東京ムツゴロウ動物王国」が開園するもわずか2年で経営破綻していた
- 借金3億円を背負わされるも8年で完済していた
- 映画「子猫物語」が配給収入約54億円の大ヒットを記録するも・・・
- 実弟に動物虐待を暴露される
- スタッフらによる動物虐待の証言
- ムツゴロウ本人は動物虐待疑惑を否定
- 著書(小説)
- 著書(天然記念物の動物たち)
- 著書(エッセイ)
- 受賞歴
- 出演作品(CM)
- 妻との馴れ初めは?
- 妻に自分の名前を含む男子4~5人の名前を書いたメモを渡していた
- ラブレターを渡し交際に発展
- 中学生同士の恋愛は禁止されていた
- 人目を忍んでデートをしていた
- 高校時代は図書室の本棚にラブレターを挟んでやり取りしていた
- 高校時代は妻と博多までデートしたこもあった
- 博多で旅館に泊まるも一線を超えることはなかった
- 大学時代には妻が結核にかかりサナトリウムに入院していた
- 妻の結核が奇跡的に治癒
- 妻とは学生結婚で新婚時代は貧乏だった
- 学生で結婚に踏み切った理由とは?
- 娘は「ムツ牧場」を経営
- 娘にとってペットの子熊は恐怖の存在だった
- 無人島で焼き芋屋をやろうとしていた
- 孫娘はタレントの津山舞香
- 娘・明日美はもともとは運動音痴も無人島の生活で足が速くなっていた
- ムツゴロウ(畑正憲)は娘の運動会に馬で登場し目立っていた
- ムツゴロウ(畑正憲)は象使いになるため家族に無断で1ヶ月間スリランカに行っていた
- 60歳を過ぎて体力の衰えを感じ始めていた
- 心筋梗塞で入院していた
- 愛煙家
- 現在は北海道中標津のログハウスで妻と2人暮らし
について、まとめてみました。
2019年には、「GetNavi web」のインタビューで、
(心筋梗塞を患い心身ともに弱っている部分があるものの)半年! せいぜい半年ですよ、この弱った状態が続くのも。まぁ見ていてください。ここから僕は力強く大復活してみせますから。
今は『週刊プレイボーイ』で「ムツゴロウさんの最後のどうぶつ回顧録」という連載を持っているんですけど、話が脱線して今まであった出来事を振り返ることも結構あって。
それを読んでいただければ、今の僕が感じていることが少しは伝わるんじゃないかなと思います。
と、現在も、創作意欲は衰えず、まだまだ書きたいことがあると語っていたムツゴロウさん。
また、体力が落ちたため、かつてのように、大きな動物を相手にするのはキツイものの、動物に対する興味がなくなったわけではないとも語っていたムツゴロウさんですが、もうすぐ90歳という高齢とは思えないバイタリティには驚かされるばかり。
これからも、まだまだ、ムツゴロウさんの活躍は続きそうです。