1966年、第1次ドラフト会議で、阪神タイガースに1位指名されて入団すると、以降、18年の現役生活で、シーズン401奪三振、オールスター9連続奪三振、江夏の21球など、様々な伝説を残すほか、広島や日本ハムを優勝に導き、”優勝請負人”と称された、江夏豊(えなつ ゆたか)さんですが、プライベートはどのようなものだったのでしょうか。今回は、江夏さんの逮捕歴と家族についてご紹介します。
「江夏豊の現役(プロ野球選手)時代の成績が凄すぎる!」からの続き
覚醒剤取締法違反で逮捕され懲役2年4ヶ月の実刑判決を受けていた
1985年、メジャー挑戦を終えた江夏さんは、その後、日本テレビやラジオ日本で野球解説者、東京中日スポーツで野球評論家として活動するかたわら、映画・テレビドラマ・バラエティ番組にも出演し、タレント・俳優としても活動していたのですが・・・
1993年、覚醒剤取締法違反(所持・使用)の現行犯で逮捕されています。
そして、同年行われた裁判では、情状証人として野村克也監督と江本孟紀さんが出廷し、江夏さんの親友の衣笠祥雄さんも証言台に立って寛大な処置を訴えたのですが、
- 大量の覚醒剤(約100g)を入手し、本件で検挙されるまで数年にわたって使用し続け、昨年9月頃からは同居していた女性にも勧めて一緒に使用させた
- 覚醒剤の所持量は約52gと、自己使用の物としては稀に見るほどの大量
- 同居女性は覚醒剤使用の罪で有罪判決を受けており、そのきっかけを作った
と指摘され、
「刑の執行猶予を相当とする事案とは到底認められない」として、懲役2年4ヶ月の実刑判決を言い渡されて、そのまま静岡刑務所に収監されています。(1995年4月に仮釈放)
覚醒剤を所持(使用)していた理由とは?
そんな江夏さんは、出所後は、
ありがたいことに、すべてを失った自分に、温かい手をさしのべてくれる方々がいた。おかげで野球解説の現場に復帰でき、こうして本の執筆の機会もいただけた。
と、語っており、無事、社会復帰しているのですが、
覚醒剤を所持(使用)していた理由については、
なんでそんなことをしたのか、今から考えるとバカだったなと思うけど、これはもうそのときの心理状態とか環境とかいろんなことがあって、自分でそういうものに走ってしまった
この時期は最初の妻と別れ、一人になっていた時期だった。家族がいたら、あんなことはしていなかっただろう。「壁」の中の二年は長かった。なんであんなバカなことをしたんだろう。もう二度とすまい
などと、語っています。
前妻は奈良の有名料亭旅館の娘・敏江
ところで、江夏さんは、1974年、奈良の有名料亭旅館の娘・敏江さんと、知人の紹介で知り合い、結婚しているのですが、1993年頃、離婚しています。
(敏江さんの実家の料亭旅館は、東大寺がある奈良公園の中にあり、財界の大物や歴代総理大臣、皇室関係者などが奈良を訪れた際、定宿としていたそうです)
子供は娘1人と息子1人
そんな江夏さんと敏江さんの間には、子供が2人(娘1人と息子1人)誕生しているそうですが、長女が佑希子さん、長男が誠克さんという名前であること以外は、情報がないことから、芸能関係者ではないようです。
ちなみに、誠克さんの名付け親は、野村克也監督だったそうですが、
野村監督は、(子供好きで、面倒見が良かったことから)よく家に来て、佑希子さんをお風呂に入れてくれたそうで、
佑希子、いいもん食わせてもらえよ
いいもん着させてもらえよ
などと、話しかけていたのだそうです。
(実は、長女の佑希子さんの前にも、子供が生まれていたそうですが、名前をつける間もなく、生後9時間で他界してしまったそうです)
さて、いかがでしたでしょうか。
江夏豊さんの、
- 年齢は?出身は?身長は?本名は?
- 母親は美人で女優として映画に出演していた時期もあった
- 生まれてすぐに父親が失踪し死んだと聞かされて育てられた
- 幼少期から年の離れた兄2人とプロ野球になぞらえた鉛筆を転がす遊びをしていた
- 小学5年生の頃に長兄の房雄に買ってもらったグラブは左利き用だった
- 長兄の房雄に強制的に左利きにさせられていた
- 酒癖が悪い長兄の房雄に殴られるのが嫌で左で箸を持って食べていた
- 中学で野球部に入部するも下働きばかりで野球をさせてもらえず不満を持っていた
- 慕っていた先輩からの鉄拳に殴り返し野球部を退部させられる
- 中学生の時は運動神経抜群だった
- 野球部を退部後は陸上部に入部し砲丸投げに取り組んでいた
- 砲丸投げでの駆け引きが後の投手としての駆け引きに繋がっていた
- 中学1年生の時から駆け引きのおもしろさに目覚めていた
- 「14歳年上の長兄が勤める会社の草野球チームで「エースで4番」を任されていた」
- ご褒美のジュースと串カツが一番の楽しみだった
- 中学卒業後は就職するつもりだったところ野球部の顧問に高校に進学して野球をするよう説得されていた
- 報徳学院と浪商のセレクションを受け最終選考に残るも・・・
- 報徳学院にも浪商にも行かなかった理由とは?
- 新興の大阪学院大学高等学校への進学を決意
- 硬式球の気持ち良さから野球にハマっていった
- 大阪学院は野球部の強化に熱心ではなく技術的なことは何も教わったことがなかった
- ノーコンながら球はめっぽう速かった
- 野球の技術は本屋で立ち読みして独学していた
- 高1の浪商戦では負けるも・・・
- 高2の浪商戦では自身の本塁打で完投勝利
- 高2の興國戦では敗れるも大阪の高校球界に名前を轟かせる
- 夏の大阪大会八尾高等学校戦では10人連続三振を記録
- 強豪・明星高等学校戦もランニングホームランの1失点のみで完投勝利
- 高校時代に唯一打たれたホームランは守備のミスによるランニングホームランだった
- ストレートのみで三振の山を築いていた
- 江夏豊は高3の夏の大阪大会準決勝で公立の桜塚高校に敗れていた!
- 公立の桜塚に負ける気はさらさらなかったが・・・
- 準決勝は桜塚のエース・奥田俊輝のキレのある球に手が出ず敗退
- 唯一の失点は意表を突いたバント処理のエラーによるものだった
- 高3の夏の大阪大会準決勝敗退から32年後に再び桜塚高校と対戦していた32年ぶりの再会でも元部員たちがお互いの顔を覚えていて感動
- 32年ぶりに奥田俊輝と投げ合う
- プロから誘いが来るも・・・
- プロ入りせず東海大学に進学しようと決める
- 東海大学でエースとして活躍する自分の姿がイメージできていた
- 阪神タイガースからドラフト1位で指名される
- スカウトの河西俊雄が自宅に来るも東海大学進学の希望は変わらなかったが・・・
- 阪神のベテランスカウト・佐川直行からは入団しなくていいと言われていた
- 阪神のベテランスカウト・佐川直行にまんまとやられていた
- 「前年の阪神のドラフト次第では江夏の阪神入団はなかった」
- 前年のドラフトで阪神は鈴木啓示を指名する予定だった
- 東海大学に一緒に行くはずだった仲間は大阪学院大学に進学
- 契約金800万円を現金でもらっていた
- 契約金800万円分の札束を阪急電車で抱いて帰っていた
- 阪神入団当初は仮の背番号「71」をつけていた
- 背番号「28」は消去法で選択していた
- 秋のキャンプではプロのパワーの違いを感じていた
- 藤本定義監督とは「おじいちゃんと孫」のような関係だった
- 川崎徳次投手コーチからカーブが投げられないことをバカにされていた
- 紅白戦は上々の出来だった
- オープン戦も初登板は上々の出来も主力が調子を上げてくると打ち込まれていた
- 阪神が左腕不足だったことから1軍に滑り込むことができた
- 公式戦初登板の大洋戦は3イニング打者11人1安打に抑えるも・・・
- 公式戦初先発の大洋戦は2回4失点で降板させられていた
- 打撃で大活躍すると・・・
- 藤本定義監督に打者転向を勧められていた
- 2試合連続でパッとせず先発をあきらめるも・・・
- 6連勝すると打者転向話は立ち消えに
- 巨人戦初登板は緊急降板した先発の村山実の代わりも直球一本で凡打の山を築いていた
- 長嶋茂雄には2ストライク1ボールから内角高めのストレートを芯で捉えられていた
- 個人的に長嶋茂雄のファンになっていた
- 巨人戦初登板初勝利
- 1年目から225奪三振で奪三振王も88四球と荒削りだった
- 林義一投手コーチによりゴムまりを天井に向かって投げる練習を課される
- キャッチボールは単なる準備運動や肩慣らしではない
- 林義一投手コーチからは「キャッチボールが一番大事」と教えてもらっていた
- ボールの回転を意識して投げているうちに制球力がついていった
- プロ入り2年目のシーズンも次々と奪三振記録を塗り替えていた
- 新記録となる354個目の奪三振は王貞治から取りたいと考えていた
- 巨人のV4を食い止め、阪神の優勝がかかっている大事な試合の初戦だった
- 王貞治からの奪三振で新記録のシーズン354奪三振を達成したと勘違いしていた
- 村山実に王貞治をライバルにするよう言われていた
- 村山実にとっての長嶋茂雄のようなライバルが欲しかった
- 絶対負けられない試合で再び王貞治の打席が回ってくるまでどのようにしのぐか考えていた
- 思惑通り王貞治から新記録のシーズン354個目の三振を奪う
- 王貞治がいつものように勝負してくれたことに尊敬の念を抱いていた
- オールスターでは観客を喜ばせようと「奪三振」を思いつく
- オールスターでは打者としてホームランも打っていた
- 9人目の加藤秀司を空振り三振で打ち取り9者連続奪三振を達成
- 加藤秀司のバックネット方向へのフライを田淵幸一に「捕るな」とは言っていなかった
- 球場の異様な雰囲気から早く逃れたかった
- 田淵幸一は記念のボールを無造作にマウンドに投げ返してベンチに戻って来ていた
- 田淵幸一の弁明の内容とは?
- 中日の松本幸行と投げ合い延長10回まで0対0だった
- 自身の本塁打で延長戦ノーヒットノーランを達成
- ノーヒットノーランの記録よりも阪神の優勝を意識していた
- マジック1で迎えた中日戦には相性抜群の上田二朗ではなく相性の悪い江夏が先発に起用されていた
- 力が入り過ぎて負け投手に
- 前日に阪神の球団幹部から呼び出されていた
- 阪神の長田睦夫球団社長と鈴木一男常務から中日戦に負けるよう言われていた
- 阪神の長田睦夫球団社長と鈴木一男常務から「優勝すると金がかかる」と言われていた
- 勝った方が優勝となる巨人戦で惨敗
- 金田正泰監督と確執
- もともと金田正泰監督とは「豊」「オジキ」と呼び合う仲だった
- 金田正泰監督から頼まれ永平寺での修行に同行するも・・・
- 金田正泰監督が寺でサボっているとろを見てキレる
- 金田正泰監督は鈴木皖武を番記者の前で怒鳴っていた
- 金田正泰監督と鈴木皖武が二人きりになれるようにセッティングしていた
- 鈴木皖武は金田正泰監督に灰皿を投げつけたうえ殴りかかっていた
- 金田監督殴打事件は金田監督の暴言が原因だった
- 権藤正利は金田監督から「サル」とからかわれていた
- 権藤正利は「勤続20年選手表彰」の栄誉を捨ててまで金田監督を殴打していた
- 裏で糸を引いた訳ではなかった
- 肘がしびれて長いイニングを投げることが困難になっていた
- 契約交渉の呼び出しがないまま報道でトレード話を知る
- 「阪神に溶け込む意欲がない」という理由でトレードを通告されていた
- 記者会見では寂しさ、悔しさ、落胆などを滲ませるも、最終的にはトレードを受け入れる
- 吉田義男監督と仲が悪かった
- 吉田義男監督は阪神球団から江夏放出を進言されるも断っていた
- 吉田義男監督がリリーフ転向を打診するも聞く耳を持たなかった
- 首脳陣や選手たちから嫌われていた
- 力の衰え(血行障害)があった
- 南海ホークスの野村克也監督から食事に誘われていた
- 野村克也監督は会食の席でひたすら野球の話をしていた
- 野村克也監督は配球の意図をすべて理解してくれていた
- 野村克也監督に惹かれ始めていた
- 南海移籍1年目は痛めた肩や肘をかばいながらの投球で成績は振るわなかった
- 野村克也監督からリリーフ転向を勧められるも・・・
- 当時、二流投手の仕事だったリリーフ転向を拒否
- 野村克也監督とは家族ぐるみの付き合いをしていた
- 野村監督からリリーフとして「革命を起こしてみろよ」と説得されていた
- 野村克也監督の「革命」という言葉に心を動かされる
- リリーフ転向も調整方法が理解されず周囲の目に苦労していた
- リリーフ転向後すぐにセーブ王(最多セーブ)のタイトルを獲得
- 野村克也監督が解任されたことに追随して広島東洋カープに移籍
- 広島移籍後は衰えていたボールの勢いが回復していた
- パラフィン治療の効果もあった?
- 広島の古葉竹識監督は選手を大人扱いし自由にしてくれたため肩を休めることができた
- 広島移籍後、プロ13年目にして初の優勝を経験
- 初の日本シリーズは猛牛打線を誇る近鉄バッファローズだった
- 日本シリーズ第7戦では9回無死満塁のピンチとなっていた
- 味方ブルペンで投球練習が始まりブチ切れそうになっていた
- 盟友・衣笠祥雄の一言で集中力を取り戻していた
- 投球動作の途中でスクイズを見抜きカーブを外角高めに外す
- 9回無死満塁からの脱出劇は「江夏の21球」として語り継がれている
- 古葉監督の勧めで日本ハムファイターズへ移籍
- 当初は大沢啓二監督をひどい監督だと思っていたが・・・
- 大沢啓二監督に父親のような温かさを感じていた
- 日本ハムのリーグ優勝では大沢啓二監督が喜んでくれることが何よりうれしかった
- 大沢啓二監督が監督を勇退しフロント入りするとお前も辞めろと言われていた
- 大沢啓二監督にトレードを勧められていた
- 大沢啓二監督に勧められた西武は行きたくない球団の一つだった
- 朝食会で広岡達朗監督の隣の席に座る
- 広岡達朗監督の気分を害していた
- ペナントレースの山場で何も聞かされないまま二軍に降格させられそのまま一軍に呼ばれなかった
- 最初から一軍復帰の見込みなどなかった
- 最後に二軍のシート打撃で納得のいく球を投げ吹っ切っていた
- 1000試合登板まであと171、200セーブまであと9、3000奪三振まで13だった
- 球団に束縛されることを嫌い自由契約で引退していた
- 大リーグのウインター・ミーティングを訪れると球団幹部・レイ・ポイトベントからメジャーのキャンプへ招待される
- 西武で完全燃焼できなかった気持ちからメジャーに挑戦する気持ちになっていた
- ミルウォーキー・ブリュワーズとマイナー契約を結ぶ
- 西武には引退試合(セレモニー)をしてもらえなかった
- 甲子園も後楽園球場も使用を断られていた
- 一本杉球場には収容人数いっぱいの約1万6000人の観衆が集まった
- 落合博満、高橋慶彦、福本豊、山本浩二、大杉勝男、齊藤明雄らも参加していた
- みな所属球団のユニフォーム姿で参加していた
- 大沢啓二と掛布雅之からは録音メッセージ
- 落合博満、高橋慶彦、福本豊、山本浩二、大杉勝男、齊藤明雄らによって胴上げされる
- 「ミルウォーキー・ブリュワーズ」のスプリングキャンプに合流
- 中継ぎ左腕として11人の投手枠に入ることを目標にしていた
- 好調なスタートを切っていた
- メジャーへの昇格率は75%と言われていた
- 自責点0も4安打4失点
- 日本の野球との違いを痛感
- 解雇を通告される
- メジャーに選出されなかった理由は?
- チームメイトからの「グッドラック」に深い意味が込められていることを知る
- 最終選考日はレジー・ジャクソンとの対戦を熱望していた
- レジー・ジャクソンの本気のスイングで野球を辞める踏ん切りがついていた
- レジー・ジャクソンからバットを贈られていた
- 1Aストックトンへの入団を持ちかけられるも断っていた
- 南海への移籍の噂を完全否定していた
- マイナーに残っていればメジャーリーガーになれた
- メジャーリーグに挑戦した理由は死に場所が欲しかったから
- プロ野球選手(現役)時代の投手成績
- 最多勝、最優秀防御率、最多奪三振、最優秀救援投手ほかタイトル多数
- シーズン401奪三振ほか記録多数
- 沢村賞、MVPほか表彰も多数
- 背番号
- 覚醒剤取締法違反で逮捕され懲役2年4ヶ月の実刑判決を受けていた
- 覚醒剤を所持(使用)していた理由とは?
- 前妻は奈良の有名料亭旅館の娘・敏江
- 子供は娘1人と息子1人
について、まとめてみました。
熱い人柄で、球団の垣根を超えてまで引退試合をしてくれる仲間に恵まれるも、その一方で、強烈な個性から、多くの球団、監督、選手たちと軋轢を生じ、漫画並みの成績を残しているにもかかわらず殿堂入りしていない江夏さん。
この機会に、是非、凄すぎる江夏さんの成績や映像をご覧ください。