最初の妻・博子さんとの離婚調停中の1980年に、知人のパーティーで知り合った、八田有加さん(当時、「ジャネット八田」名義で女優として活動)に一目惚れすると、博子さんとの離婚成立後、有加さんと結婚した、田淵幸一(たぶち こういち)さんは、有加さんとの間に、2人の男の子が誕生しているのですが、実は、前妻・博子さんと結婚する前に誕生した子供もいるといいます。今回は、そんな田淵さんの子供と不倫の噂についてご紹介します。
「田淵幸一の現在の妻(ジャネット八田)との馴れ初めは?」からの続き
長男はアナウンサーの田淵裕章
田淵さんと有加さんの間には、2人の男の子が誕生しているそうですが、長男は、アナウンサーとして活動している、田淵裕章(たぶち ゆうしょう)さんです。
長男の裕章さん。
裕章さんは、1981年11月9日に誕生すると、青山学院幼稚園、青山学院初等部、青山学院中等部・高等部を経て、2004年に青山学院大学法学部卒業しているのですが、
本来なら大学3年生で受けるはずのアナウンサー試験を大学4年の時に受験したことから、卒業から1年後の2005年4月1日にフジテレビに入社したそうで、
卒業してから入社するまでの間(2004年7月~8月)には、「お台場湾岸テレビ ちゃんねる冒険王」(お台場冒険王の館内放送)で司会をしていたそうです。
ちなみに、「裕章」の読みが「ひろあき」ではなく、「ゆうしょう」なのは、田淵さんが、当時、まだ優勝を経験しておらず、「優勝」への熱い想いがあったからだったそうですが、この翌年の1982年には、念願叶って、西武ライオンズでリーグ優勝・日本一を達成しています。
次男は田淵帝次
また、次男は、田淵帝次さんというそうで、1983年12月に誕生しているそうですが、情報がないことから芸能人ではないようです。
1985年、「サクラカラー」のCMに出演する田淵さん一家(左から、田淵さん、帝次さん、裕章さん、有加さん)
非嫡出子の娘も?
ちなみに、田淵さんは、最初の妻・博子さんと結婚する前の年(1974年)、当時、交際していた女性との間に女の子が誕生し、認知していたそうで、
田淵さんが、打席に立つと、対戦チームのファンだけでなく、(当時、在籍していた)阪神ファンからも、下品なヤジが飛んでいたそうです。
球団の女性職員と不倫していた?
ところで、田淵さんは、ダイエーホークスの監督に就任した1990年、シーズン入りした直後、球団の女性職員と不倫している噂が流れたそうで、
このことを知った球団は大慌てで、新聞記事や週刊誌にスッパ抜かれて、田淵さんと女子職員A子さんの関係が明るみになる前にと、A子さんを球団の仕事から、当時、建設中だった「福岡ドーム」の事務所へ配置転換したそうですが・・・
不倫の噂はデマだった
この年からダイエー担当になった記者によると、(単身赴任では寂しいだろうからと)取材がてら、毎日のように田淵さんのマンションを訪ねていたそうですが、A子さんとは一度も鉢合わせしたことがなかったほか、
部屋の中には、まだ、開封されていないダンボールが、あちこちに置きっぱなしだったそうで、「不倫」を感じさせるものは何もなかったことから、
あらためて、球団に説明を求めると、
球団は、
いや、不倫を確認した訳じゃありません。実は田淵監督がコーチ会議で『○○選手は陰でこんなこと、あんなことを言っている』と頻繁に発言するので、どうしてそんな細かいことまで知っているのかを調べたら、どうやらA子が監督の情報源らしいと
と、言ったそうで、
「らしい」という言葉にひっかかった記者が、確認を取ったのかどうかを尋ねると、
球団は、
(確認は)取ってません。というより、監督に不倫してますか?とは聞けないでしょう
とのことで、
その後、田淵さんのA子さんとの不倫の噂は、デマであることが判明したのだそうです。
田淵幸一本人が自身の不倫の噂を知ったのは数年後だった
ちなみに、田淵さん自身がこの騒動のことを知ったのは、監督を辞してから数年後のことだっそうで、
田淵さんは、
へぇ、ホントか?そのときに教えてくれれば怒ったのに。でも、オレが不倫なんてするわけないだろう。お前だってウチのかみさん、よく知ってるくせに
と、大笑いしていたとのことでした。
(田淵さんには、「監督の住むマンションには中洲のクラブのママが住み着いている」という噂もあったそうですが、これもデマだったそうです)
さて、いかがでしたでしょうか。
田淵幸一さんの、
- 年齢は?出身は?身長は?本名は?
- 少年時代は裕福な家庭で何不自由なく育っていた
- 小学3年生の時に初めて生のプロ野球の試合を見る
- 毎日オリオンズのファンになっていた
- 日米野球観戦後にキャッチボールを始めていた
- 学習院キャンパスで仲間たちと三角ベースをするように
- ジャニー喜多川率いる野球チーム「ジャニーズ」と試合をしたことがあった
- 中学の野球部は弱小チームだった為すぐ試合に出れていた
- ご褒美のカツ丼につられ逆転満塁ホームランを打っていた
- 甲子園に憧れて法政一高を受験することを決意
- 法政一高への通学ルートは理想的だった
- 法政一校(現・法政大高)に進学し野球部に入部するも1週間で退部していた
- 退部して1週間で野球部に復帰していた
- 野球部に復帰すると先輩からのしごきが待っていた
- ボールに触りたい一心で打撃捕手を志願していた
- キャッチャーに転向し松永怜一監督のマンツーマンノックを受けていた
- 松永監督の特訓でキャッチャーとしての技術が向上し自信がつく
- 風邪がきっかけで打撃のコツをつかむ
- 甲子園は準々決勝で敗退
- 高校時代の恩師・松永怜一監督が法政大でも監督だったことから優遇されていた
- 東京六大学野球第1号ホームランは慶應戦の同点2ラン
- 先輩にマッサージを命じられても二度と頼まれないようにわざと下手にやっていた
- 「第4回アジア大会」の日本代表メンバーに1年生でただ1人選ばれていた
- 「第4回アジア大会」では場外ホームランを放ち球場の外野フェンスに名前が記される
- 東京六大学記録の8本塁打を大きく上回る通算22本塁打を記録
- 通算9号本塁打までは足踏み状態だった
- 通算9号本塁打を打った日は打てそうな予感があった
- 松永怜一監督や後輩の江本孟紀いわく田淵のバッティングは「天才型」
- 巨人の川上哲治監督に巨人入りを熱心に誘われていた
- 巨人以外は入団を拒否すると宣言するも・・・
- 5球団(巨人、大洋、南海、東京、東映)から誘われていた
- 阪神は内野手の富田勝狙いで田淵の家には挨拶に来なかった
- 「第4回ドラフト会議」では巨人の番をやきもきしながら待っていたが・・・
- 希望の巨人は8番目だった
- 阪神から1位指名され耳を疑う
- 一度も挨拶に来なかった阪神に怒り心頭だった
- 阪神の入団は拒否し、社会人野球へ入ると断言していた
- 阪神が田淵を1位指名しようと決めたのは指名の直前だった
- スカウトの佐川直行は過去に阪神入り濃厚だった王貞治を土壇場で巨人に横取りされ恨みを持っていた?
- 阪神の佐川スカウトは田淵を10年に1人の逸材だと言って取り繕っていた
- 阪神の佐川直行スカウトはドラフト会議の翌日に初めて挨拶に来た
- 巨人の正力亨オーナーが「三角トレード」を提案するも阪神の戸沢社長は否定
- 巨人の正力亨オーナーは田淵にプロ野球界に入って欲しかった?
- 巨人の沢田幸夫スカウトとの密会がスクープされる
- 阪神に入団せざるを得なくなっていた
- 巨人の沢田幸夫スカウトとは本当は会えなかった?
- 巨人への思いを断ち切り阪神に入団
- 背番号「22」は前々年ドラ1の西村公一から譲り受けていた
- 幻の「三角トレード」の巨人の交換要員は分からず仕舞
- 捕手としての評価はまずまずだった
- 元阪神捕手の土井垣武からも6つのダメ出しはされるも欠点が少ないとまずまずの評価
- 長距離打者として高く評価されていた
- プロ1年目の目標は正捕手と新人王
- 「内角高め」が弱点と発覚
- 後藤監督や村山実兼任コーチが内角打ちの特訓に付き合ってくれるも・・・
- 阪急とのオープン戦では内角を攻められ打つことができなかった
- 阪急の西本幸雄監督や巨人の前川八郎スカウト部長は阪神の育成を疑問視していた
- 周囲の声を気にしていなかった?
- 久しぶりの快音も大ファウル
- 南海の野村克也が田淵がホームランを打てない原因を解説していた
- オープン戦60打席目でプロ初ホームラン
- 初ホームランはロッテバッテリーの温情によるものだった
- 中日戦では僚友・星野仙一と対戦するも・・・
- 星野仙一は辛口のコメント
- 阪神・後藤監督には開幕スタメン起用を断念すると言われるも・・・
- あっけらかんとして西鉄のエース池永正明からホームランを打っていた
- 公式戦初打席は大洋ホエールズの平松政次の前に三球三振
- 開幕戦の翌日のダブルヘッダー第2試合ではスタメンに起用される
- デビュー2試合目にして2打席連続本塁打を放つ
- 元阪神の捕手・土井垣武も驚いていた
- グリップを下げることが功を奏していた
- 当初は江夏豊から捕球について注文を出されていた
- 江夏豊の投球をボールにしないように左腕を鉄アレイで鍛えていた
- 江夏豊と息ピッタリに
- 江夏豊と共に「黄金バッテリー」と呼ばれるようになる
- 6月に成績が下降していた
- 成績下降の原因は?
- 捕手から一塁に転向し打撃・守備ともにキレが戻ってくるも・・・
- 野田誠三オーナーの命令で再び捕手に戻され眠れぬ日々が続いていた
- ルーキーにもかかわらずオールスターのファン投票ではダントツの1位
- オールスターのベンチで金田正一から真ん中に座るよう言われていた
- 金田正一の実弟・金田留広からレフトスタンドに同点ホームラン
- シーズン終盤9月中旬には「新人王」は無理だと言われていた
- 巨人のスカウト・前川八郎は田淵幸一を使いこなせない阪神に怒りをあらわにしていた
- 後藤次男監督の独断で再び一塁に起用され決勝2ランホームランを放つ
- シーズン終盤でホームランを連発していた
- 「新人王」は諦めるもホームランは量産しようと考えていた
- 残り15試合で7ホームランし「新人王」を獲得
- 広島・外木場義郎投手からこめかみに死球を受け意識不明となっていた
- 頭部を切開して血腫を取り除くか、もう少し様子を見るか、選択を迫られていた
- 逆行性健忘症のお陰で打撃に影響が残らなかった
- 外木場義郎は田淵にカモにされていたことから厳しいコースを攻めていた
- 死球を受けた日は夏の暑さで体調に異変を感じていた
- 田淵の死球により耳あて付きヘルメットがバッターに義務付けられるようになった
- 風邪気味で無理に試合に出場して40度の高熱が出ていた
- 急性腎炎で開幕から2ヶ月間欠場していた
- 開幕から2ヶ月欠場も川上哲治監督の推薦でオールスターに出場
- 江夏豊の9連続三振時の捕手を務めていた
- 江夏豊が9連続三振を取った記念のボールをマウンドに転がしてしまっていた
- 首位・巨人と1ゲーム差で迎えた直接対決で35号ホームラン
- 首位・巨人と1ゲーム差で迎えた直接対決では連発となる36号逆転満塁ホームランも
- 巨人戦で同一カード7打数連続本塁打を記録
- 左手首の腫れを押して試合に出ていた
- 右腕1本で17号同点ソロホームランを放っていた
- 左手首を痛めながらも逆転サヨナラ3ランホームランを放っていた
- 阪神球団から深夜に突然電話で呼び出されていた
- 西武へのトレードを通告される
- 記者会見では阪神球団への怒りを訴え最後は顔を覆って涙を流していた
- 怠慢プレーのイメージが付き始めていた
- いつも故障を抱え捕手の動きなど守備が鈍くなってきていた
- 急性腎炎の影響で太り「がんばれ!!タブチくん!!」の連載で「デブでドジ」なイメージが定着していた
- ドン・ブレイザー新監督の戦力構想に入っていなかった
- 西武は新球団だったためスター選手が欲しかった
- 西武・根本陸夫監督はどうしても田淵幸一を獲得したかった
- 西武・根本陸夫監督の人柄に惹かれ移籍を了承していた
- 西武ライオンズ・堤義明オーナーの斬新な発想に衝撃を受けていた
- 西武ライオンズの堤義明オーナーは選手に品位を求めていた
- 球団披露パーティーが開催されるも選手紹介はされなかった
- 西武ライオンズ初年度の球団職員は寄せ集めの素人集団だった
- 西武初年度は開幕戦から4番を任されるも前期はパッとしなかった
- 下半身を鍛えるためランニングをしていると根本監督が来てアメリカンノックをしてくれた
- 特訓の甲斐あって阪急8回戦では2打席連続ホームラン
- 初年度の西武は最下位も根本監督は自分の責任だと言って選手を責めなかった
- 根本監督は初めて「この人のためなら」と思える人だった
- 自己最多タイの43本塁打を記録し完全復活を遂げるも右膝半月板挫傷で1軍登録を抹消される
- 引退を考えるも婚約者が妊娠中で辞めるわけにはいかないと思い直していた
- 食生活まで管理する広岡達朗監督に当初ついていけないと思っていた
- 広岡達朗監督に全選手の前で批判されていた
- 共に批判された東尾修は怒り狂っていた
- 優勝して広岡監督の鼻を明かし胴上げのとき最後に落とそうと選手たちに提案していた
- 東尾修だけは断固として広岡監督の管理野球に反抗していた
- 広岡達朗監督の「管理野球」を受け入れて体質改善に取り組みダイエット成功も・・・
- スタメンで出たり外れたりを繰り返し悶々とした日々を送っていた
- 広岡監督の厳しい批判に「この人にはもうついていけない」と思っていた
- 南海とのダブルヘッダー第1試合で逆転2ランホームラン
- プロ14年目にして西武で初のリーグ優勝を経験
- 広岡監督を胴上げで落とすのは日本一になってからにしようと引き伸ばしていた
- 初めての日本一に酔いしれつつ広岡監督のやり方は間違っていなかったと感じていた
- 王貞治の55本塁打を上回るペースで本塁打を量産していたが・・・
- 近鉄戦で死球を受け左手首を骨折したうえ荒療治で悪化し復帰まで3ヶ月近くかかっていた
- 本塁打王をあきらめ日本シリーズ優勝(打倒巨人)に目標を切り替えていた
- 約3ヶ月ぶりに復帰するも打棒が戻らないままシーズンが終了していた
- 巨人との日本シリーズでは江川卓と西本聖からホームランを放っていた
- 「打倒巨人」の夢を果たし、西武で2年連続日本一
- ひどい花粉症に見舞われていた
- 打球がフェンス際で失速するようになる
- 甲子園でのオールスターで張り詰めていた糸がプツンと音を立てて切れていた
- 気持ちを奮い立たせることができなくなっていた
- 現役引退を発表
- 自分のプレーする姿を子供に覚えていてほしい思いから、引退は後ろ髪を引かれていた
- 引退を表明した日の夜には「夜のヒットスタジオ」に生出演していた
- プロ野球選手(現役)時代の打撃成績
- タイトル
- 新人王、MVP2回、ベストナインほか表彰も多数
- 4打数連続本塁打ほかNPB記録多数
- 背番号
- 西武・広岡達朗監督の後任監督として噂されていた
- 西武・広岡達朗の後任監督には森祇晶が起用される
- 阪神の村山実監督からヘッドコーチ兼打撃コーチのオファーを受けるも遺恨のある阪神への復帰を断っていた
- ダイエー(現・ソフトバンク)から監督要請を受けていた
- 恩人・根本陸夫に相談しダイエーの監督を引き受ける決意をする
- ダイエーには「ファンを呼べる監督」が必要だった
- 背番号「81」は前監督・杉浦忠の志を継ぐためだった
- 南海の最後のドラフトでは1位指名に3位指名の契約金と年俸しか出していなかった
- トレードで選手を補強しようにも交換する選手がいなかった
- ドラフトでは巨人入りを熱望する元木大介を1本釣りできるとスカウトから断言されていた
- 元木大介が少年時代に南海ファンだったことに期待していた
- 近鉄(仰木彬監督)が8球団競合の野茂英雄の交渉権を獲得
- 巨人入りを熱望していた元木大介を1位指名
- 元木が入団を熱望していた巨人は慶大の大森剛を1位指名
- 元木大介をドラフト1位指名も入団拒否される
- 人脈がなかったことから自ら動いていた
- 阪神の大野久を獲得しようとトレードを申し込むも・・・
- 大野久のトレードは村山実前監督を刺激することを理由に断られていた
- 中日の監督だった旧友の星野仙一を頼ってようやくトレードを成立していた監督就任1年目はダントツの最下位だった
- コーチ・選手共にうまくコミュニケーションが取れず溝ができていた
- ダイエーが負けた時は選手を叩く記事を書いて欲しいと記者に依頼していた
- 広島の監督2年目の山本浩二を頼りトレードを申し込むも断られていた
- 何気なくつぶやいた一言を若い記者により広島の首脳陣に伝えられ・・・
- 広島の松田オーナー代行に激怒され謝罪会見を行っていた
- 球団社長からも代表からも犯罪者扱いされていた
- 5位、4位と少しづつ順位を上げていくも・・・
- ダイエーの監督を解任される
- 妻・有加の説得で辞任を表明
- 阪神の監督に就任要請されていた旧友・星野仙一にコーチに誘われていた
- 親友・星野仙一とは気持ちが通じ合っていた
- 大学時代、将来、星野仙一が監督になった際にはコーチとして助けると約束していた
- 中日で星野仙一監督が胴上げされているのを見て自身も星野を胴上げしたいと思っていた
- 人間には「器」があることに気がついていた
- ジャンボ尾崎から言われた一言で、自身は「2番手の男」だと悟っていた
- 星野仙一監督のもと阪神のチーフ打撃コーチに就任
- 周囲は「ミスタータイガース」の田淵が阪神の監督をやるべきだと思っていた
- 長男の裕章からも心配されていたが・・・
- 阪神のコーチに就任した後も徹底的に星野仙一を立てていた
- 阪神球団は星野仙一が監督に就任するにあたり鉄拳制裁を懸念していたが・・・
- 星野仙一監督からは選手以上に怒鳴られ、時には尻を蹴り上げられていた
- 「怒鳴られ役」は阿吽の呼吸でやっていた
- 2003年には18年ぶりのリーグ優勝を飾る
- 超満員の甲子園で星野仙一と抱き合って泣いていた
- 星野仙一は田淵幸一を優勝監督にさせてやりたいと語っていた
- 星野仙一とともに阪神を退団していた
- 星野仙一は何度も試合中に倒れていた
- ベンチで胃痛と嘔吐に苦しむ星野仙一の手を取り励ましていた
- 北京オリンピックで再び星野仙一にコーチに誘われていた
- 敗因は星野仙一の監督としての情の深さが仇となっていた?
- 敗因は故障中のメンバーの招集か
- 星野仙一本人は選手の気持ちの弱さと国際試合の経験の少なさを敗因に挙げていた
- 楽天でも星野仙一のもとヘッド兼打撃コーチに就任するも早々にヘッドコーチ専任となっていた
- 「ヘッドコーチ専任」は更迭人事だった
- 「ヘッドコーチ専任」は三木谷オーナーと星野仙一の妥協点だった
- 田淵幸一の指導は選手たちから不評だった
- 楽天のヘッドコーチも解任される
- ヘッドコーチ解任後はフロント入りすると噂されていたが・・・
- 星野仙一は田淵幸一を守りきれなかった?
- 最初の妻・博子との結婚式は緊張のあまり足が震えていた
- 最初の妻・博子は離婚歴のある2児の母親だった
- 最初の妻・博子に惹かれた理由は?
- 最初の妻・博子の料理には辛口の評価をしていた
- 結婚生活について抱負を語るも・・・
- 最初の妻・博子との離婚原因は?
- 現在の妻・有加との馴れ初めは?
- 現在の妻・有加の家族は結婚に反対だった
- 現在の妻・有加は「ジャネット八田」名義でモデル・女優として活動していた
- 長男はアナウンサーの田淵裕章
- 次男は田淵帝次
- 非嫡出子の娘も?
- 球団の女性職員と不倫していた?
- 不倫の噂はデマだった
- 田淵幸一本人が自身の不倫の噂を知ったのは数年後だった
について、まとめてみました。
法政一高、法政大学時代の恩師・松永怜一監督は、
一見、おっとりしているようだが芯は強い子。素質はいわゆる天才型。彼がホームランを打てるのは、強い腕力、優れた眼、並外れたスポーツ神経にある
法政大学の1年後輩で、元プロ野球選手でサンケイスポーツ評論家の江本孟紀さんも、
信じられないホームランを何本も打った。それまでの打席で完璧に抑えられていたのに、走者が出ると逆転のホームランをかっ飛ばす。天才だから練習しなくても何でも出来た
と、周囲から、「天才」と呼ばれていた田淵さん。
是非、この田淵さんの技術が解明され、引き継ぐ選手が出てきてほしいものです。
「田淵幸一の少年時代は裕福な家庭で何不自由なく育っていた!」